車谷長吉の短編集『武蔵丸』は、人間の泥臭い「業(ごう)」と、どこかユーモラスで物悲しい日常が見事に調和した私小説集です。表題作「武蔵丸」は、2001年に第27回川端康成文学賞を受賞しています。
そのなかでも、30ページにも満たない短編「狂」が強く心に残りました。
この作品では、高校時代の恩師であり、「√(ルート=割り切れない人)」というあだ名で呼ばれていた実在の教師・立花得二氏が、本名のまま描かれています。生涯にわたって小説を書き続けながら、一度も雑誌に掲載されることなく世を去った男の執念が静かに描かれています。
立花先生は東京帝国大学(現在の東京大学)経済学部を卒業後、三菱商事本社に入社しました。しかし、上司が自身の失態を隠すために部下だった立花氏を利用したことに激怒し、上司を屋上へ呼び出して殴りつけ、その場で辞表をたたきつけます。その後は高校教師となります。
効率や成功、名声が重視される現代社会とは対照的に、立花先生は最後まで不器用で、決して「割り切る」ことのできない人物でした。その生き方には、人間の業が濃密に刻み込まれています。
しかし、私がこの短編を忘れられなくなった理由は、立花先生のエピソードではありません。冒頭約5ページにわたって描かれる、作者の父・車谷市郎についての記述でした。
市郎は75歳で狂死したといいます。戦時中、陸軍の二等兵だった頃に肋膜炎を患い、陸軍結核病棟へ収容されました。その後、病は回復して帰郷し、結婚して長吉を授かります。以降は農業に従事し、平穏な生活を送っていました。
ところが昭和60年の夏、長年体内に潜んでいた結核菌が再び活動を始めます。肺結核を発症し、喀血して結核病院へ入院しました。しかし、やがて自宅療養となり、その間に結核菌が脳へ達して精神に異常をきたします。その様子を、車谷長吉は次のように記しています。
「狂気してのちの父は、一日十八時間、家の中で毛物(けもの)のような声で喚き、みずからの糞尿を壁に投げつけ、どこの誰それにこれだけの貸し金があるから行って取り立てて来いと母・信子に迫り、併しその貸金はありもしない父の妄想で、私が東京から見舞いに帰ると、無論、倅(せがれ)が帰って来たことには気づかず、母の間男が家の中に入って来たと思うて怒り、泣き、そのざまはまことに無惨を極めた。そういう日が六年続いた。」
それほど激しく正気を失った市郎にも、ひとつだけ狂っていない部分があったといいます。それは、自分の死が近いことを理解していたことでした。
火葬場の鋼鉄のかまどに入れられ、業火で焼かれる自分の姿を想像し、「熱いッ。熱いッ。」と繰り返し訴えたのです。
この場面について、作者は次のように述べています。
「月並みに言えば、この部分こそが狂うていれば、父も何程かは救われたであろうが、併し具合が悪いことに、一番悲惨な、人に戦慄を起こさせる部分だけが狂うていなかったのである。」
この一節を読んだとき、胸が締めつけられました。
人は誰しも、いつかは死に至る病と向き合わなければなりません。しかし、その過程で身体が衰え、それに伴って精神までも変化していく姿には、言葉では言い尽くせない恐ろしさがあります。
ドラマや映画、小説を通して、そのような場面にはこれまで何度も触れてきました。それでも、この作品が描く恐怖だけは決して他人事には感じられませんでした。死そのものよりも、死へ向かう過程で人間の尊厳や理性が少しずつ崩れていくことのほうが、はるかに深い恐怖を伴うのだと痛感させられた一編でした。
