倉橋由美子の短編小説『マゾヒストM氏の肖像』を読みました。この作品は、『倉橋由美子全作品〈8〉』に収録されている一編です。
本作は、マゾヒストである「M氏」の特異な人格や行動を、女性の視点から冷静に観察し、描いた作品です。知的でどこか悪趣味な雰囲気と不条理な世界観が広がるなか、M氏の異常な性癖や本性が少しずつ明らかになっていきます。その過程が淡々とした文体で描かれているため、かえって不気味さが際立っています。
ぼくが特に面白いと感じたのは、主人公の女性がM氏、ひいてはマゾヒストという存在に対して強い嫌悪感を隠そうとせず、率直に表現している点です。一般的な文学作品では、異質な人物にも一定の理解や共感が示されることがありますが、この作品では拒絶の姿勢が一貫しており、それがかえって印象に残りました。
この小説を読むきっかけになったのは、本橋信宏氏のノンフィクション『悪人志願 アウトロー群像』です。この本では、SMクラブの女王として知られる七海玲央という人物が紹介されていました。
読後に七海玲央の近況が気になり検索してみると、「M男ぶちのblog」という個人ブログを見つけました。記事をいくつか読んでいるうちに、『Mな文学(2)~倉橋由美子~マゾヒストM氏の肖像』という2017年5月15日付の記事が目に留まり、本作の背景について知ることができました。
その記事によると、この小説は、倉橋由美子がM氏のモデルとされる天野哲夫氏と出会った際の体験をもとに書かれた作品だそうです。天野氏は、『家畜人ヤプー』で知られる沼正三の代理人として活動していましたが、実は本人こそが沼正三だったという説もあります。また、筋金入りのマゾヒストとして知られ、自身の体験を題材にしたエッセイも数多く執筆していました。
沼正三の代表作『家畜人ヤプー』は、1956年から『奇譚クラブ』で連載された長編小説です。マゾヒズムや汚物嗜好、人体改造など過激な描写を含む作品ですが、その独創性から当時の文学者や知識人の間で大きな話題となりました。三島由紀夫が高く評価して多くの人に紹介したことをきっかけに、澁澤龍彦や寺山修司らからも注目され、文学史に残るカルト的な作品として知られるようになります。
その後は石森章太郎とシュガー佐藤による漫画版が制作され、さらに江川達也による漫画化も行われました。ただし、江川版は完結することなく打ち切りとなっています。
話を『マゾヒストM氏の肖像』に戻します。
モデルとなった人物の存在も興味深いのですが、それ以上に印象的だったのは、作者自身を思わせる女性がM氏に向ける嫌悪感です。その感情には遠慮や配慮がなく、生理的な拒絶反応として描かれています。
印象的な場面として、食事中にM氏が主人公へ告白する場面を引用します。
「少し胃が悪いのですか」とM氏がたずねた。
「いいえ。胃はいたって丈夫なほうです」
「それでは食べたものを吐いたりはしないでしょうね」
「あまりしたことはないようですね」
「私は一度あなたが吐いたものを食べてみたいと思います」
「たちのよくない冗談をおっしゃるようですね」
「いや本気でそう思っていますよ」
みるとM氏の顔にある変化があらわれかけていた。いつもの仮面じみた顔がゆるんで、その下にあるかもしれない別の顔があらわれかけているようだった。私は気持ちが悪くなってほんとに自分が嘔吐するのではないかと思ったが、黙っていると事態はますます悪化するにちがいなかったので、ことばを使って反撃をこころみた。
物語の終盤では、主人公はM氏の顔を怒りと嫌悪感のまま思い切り蹴り上げます。しかし、それはマゾヒストが女主人から受けることを期待するような「折檻」ではありませんでした。完全な拒絶として放たれた一撃だったのです。M氏はそのまま姿を消し、主人公だけが足の痛みに耐えながら、その場に取り残されます。
この結末に対する印象は、読む人によって大きく変わるでしょう。もしマゾヒスト本人が読めば、拒絶されたM氏に共感したり同情したりするのかもしれません。しかしぼくにはそのような嗜好がないため、むしろ主人公の行動に爽快感を覚えました。
全集に収録された『作品ノート』では、倉橋由美子は本作について次のように説明しています。
「理解とは、相手と立場を交換した時、自分にもそれができるだろうと想像できることで成立つ。作者はある種の人間に対してはこの想像力が働かず、従ってその種の人間が理解できない。これは別に強力な道徳律がそれを防げているのではなくて、多分先天的にある方面の想像力が欠落していることによるものである。」
この一文を読むと、本作はマゾヒズムを理解しようとした作品ではなく、「どうしても理解できない他者」と向き合った体験を文学として表現した作品だったことがわかります。その徹底した拒絶の姿勢こそが、『マゾヒストM氏の肖像』の最大の魅力なのではないかと感じました。
