俳優の佐藤二朗が、ドラマ『夫婦別姓刑事』で共演した橋本愛に対してハラスメント行為をしたと、7月2日発売の「週刊文春」が報じました。この報道をきっかけに、ハラスメント騒動は必要以上に拡大しているように感じます。

このニュースを知ったとき、率直に「またか……」とうんざりしました。佐藤二朗にも橋本愛にも期待しているのは、映画やドラマで素晴らしい演技を見せてくれることだけです。セクハラやハラスメントを巡る騒動は、できる限り表に出さず、関係者同士で解決してほしいというのが正直な気持ちです。

● 十年前のハラスメント被害が影響
ネット上で公開されている関連記事を読む限りでは、今回の件を佐藤二朗だけの責任と断じることはできないと感じました。コメント欄でも佐藤を擁護する意見が目立ちます。ただ、憶測だけで判断するのでは不十分だと思い、騒動の発端となった「週刊文春」7月9日号掲載の『橋本愛(30)が号泣した佐藤二朗(57)の「爆弾ハラスメント」』を読んでみました。

記事を読んだ印象では、最も大きな問題は、橋本愛の事情が現場で十分に共有されていなかったことです。プロデューサーや佐藤のマネージャー、そして制作側であるフジテレビの情報共有に不備があったように思えます。一方で、自身の要望が相手に正しく伝わっているかを橋本本人も確認していれば、防げた部分はあったのではないでしょうか。

記事では、次のように説明されています。

「実は橋本さんは十年ほど前に、舞台の現場で共演者からハラスメント被害を受け、心に深い傷を負った経験があります。今回、ベッドシーンなどはありませんでしたが、夫婦役のオファーを受ける際、念のためプロデューサーに対して身体接触の制限が出るかもしれないと事前に伝えていたのです」(ドラマ関係者)

その後、プロデューサーは佐藤本人へ伝えるべきか橋本の所属事務所に確認しましたが、判断はプロデューサーに委ねられました。そこでプロデューサーは佐藤のマネージャーへ、身体接触に制限が生じる可能性を伝えたとされています。

しかし、
「マネジャーは佐藤さんが撮影を張り切っており、演技に制約をつけたくなかったので、佐藤さん本人にはそのことを伝えなかった。プロデューサーもそれを承知した」(ドラマ関係者)
という経緯だったそうです。

この内容が事実であれば、佐藤本人が橋本の事情を知らないまま撮影に臨んでいたので、責任を一人に負わせるのは無理があるように感じます。

● 「才能がない」という言葉は重く響いたのではないか
橋本愛がハラスメント被害を受けたとされる舞台は、2016年に上演された月刊「根本宗子」第13号『夢と希望の先』とされています。これは橋本にとって初舞台でしたが、被害の詳細や相手については現在まで公表されていません。

今回の騒動では、フジテレビが結果として佐藤二朗だけに責任を負わせるような構図になっている点にも疑問を感じます。一方で、橋本愛に対するSNS上での誹謗中傷が激しくなっていることも報じられています。必要以上に橋本を攻撃しても、何の解決にもならないでしょう。

橋本愛について思い出したのが、2022年10月に是枝裕和(これえだ ひろかず)監督と対談した際の発言です。その中で橋本は、「思うように演技ができず、『才能がないんだな』というジレンマを10年間抱え続けてきた」と語っていました。

是枝監督から「デビュー当時、芝居を一生の仕事だと思っていたのか」と尋ねられると、橋本は「辞めるつもりでした。中学生でしたし、自分から飛び込んだ世界ではなく流されてきた感覚だったので、おばあちゃんになるまで続けようとは思っていませんでした。そう思えるようになったのはここ3~5年です」と答えています。

さらに、成島出監督の映画『グッドバイ』についても、「そこで改めて芝居を教えてもらいました。自己流で研究していたけれど限界があり、現場でできなくて、演技を基礎から教えていただきました」と振り返っています。

こうした発言を読むと、橋本は長年、演技に対する迷いや自己否定と向き合い続けてきたことが分かります。そのような背景があったからこそ、佐藤二朗から「あなたは役者をやるべきではない」と言われたことが、本人にとって深く突き刺さった可能性はあるのではないでしょうか。

● 努力すべきなのは本人である
騒動が広がるなか、7月2日に漫画家の倉田真由美氏がXに投稿した意見は、多くの示唆を含んでいると感じました。

倉田氏は、
「トラウマというのは自分の問題で、基本他人には関係ない。トラウマを克服するために、そのトラウマを抱えたまま仕事や人間関係を続けるために、努力すべきは本人であって他人ではない」
と投稿しています。

さらに、
「配慮を求めるのは自由だ。しかし、それにどう対応するか決めるのは他人の自由だ」
と述べた上で、

「トラウマを叫ぶ無敵の人を作り、無配慮を一方的に責めるのは社会の萎縮につながる」
と問題提起しています。

また別の投稿では、
「傷ついた経験を持たない人などいない。それぞれその傷を抱えながら生きている。声が大きければトラウマの大きさも大きいわけでもない。口にしない、大きなトラウマを抱えている人もいる。すべて自分で乗り越えるしかない」
とも綴っています。

この考え方には賛否があるでしょう。しかし、配慮を求める権利と、それに応じる側の自由とのバランスについて考えるきっかけになる意見ではないでしょうか。今回の騒動も、誰か一人を悪者にして終わらせるのではなく、現場での情報共有やコミュニケーションのあり方を見直す契機として受け止めるべきだと感じました。

参照:「努力すべきは本人」倉田真由美氏 佐藤二朗の“ハラスメント報道”への私見に賛否