「霧のごとく」 2025年製作 台湾 原題:大濛/A Foggy Tale

 

チェン・ユーシュン監督の映画『霧のごとく』は、昨年、台湾最高峰の映画賞である金馬奨で最優秀作品賞や脚本賞など4部門を受賞した話題作です。

台湾の暗黒時代とされる「白色テロ」を題材にしながら、市井に生きる人々の純愛や思いやり、そしてかすかな希望を描き出し、観る者の心を深く揺さぶります。物語の舞台は、国民党政権による厳しい弾圧が続いていた1950年代の台湾です。

おかっぱ頭の少女・阿月(アグエー)は、反乱分子として銃殺された兄の遺体を引き取るため、ひとりで危険な街へ向かいます。しかし、遺体の引き取りには高額な手数料が必要で、途方に暮れてしまいます。劇中では、その額は1年分の稼ぎに相当すると説明されています。それでも家に残された金を手に、遺体が安置されている斎場を目指します。

道中、怪しい男にだまされて遊郭へ売られそうになったアグエーを救ったのは、人力車夫の趙公道(ザオ・ゴンダオ)でした。ゴンダオは粗野な性格ながら情に厚い男です。中国・広東出身の元軍人で、仲間を失い、故郷にも帰れないまま、人力車を引いて日々を生きています。

「出発!」と威勢よく叫び、人力車を走らせるゴンダオ。どこか脳天気でありながら明るくたくましい彼の存在が、重い物語にリズムを与えています。その姿を見ていると、こちらまで元気をもらえるような気持ちになります。

時代に翻弄され、心に深い傷を抱えた二人が偶然出会い、ともに旅を続ける姿が胸を打ちます。

また、1950年代の庶民の暮らしぶりも丁寧に描かれています。粗末な衣服や住まい、質素な食事などが映し出され、当時の貧しさが画面越しに伝わってきます。



そんな重苦しい空気を一変させるのが、アグエーが姉・阿霞(アシア)と再会する場面です。踊り子として働く姉が舞台に立ち、華やかな音楽と踊りを披露します。客席で見守るゴンダオは終始にこやかな表情を浮かべ、アグエーは感極まって涙を流します。大衆娯楽が人々の暮らしにどれほどの彩りと喜びを与えていたのかを実感させる、印象的なシーンでした。

物語後半では、兄の遺体が斎場から解剖実習用の献体に回されていたことが明らかになります。アグエーと姉は遺体を確認するため、その施設を訪れます。ホルマリンで満たされた大きな水槽には複数の遺体が浮かび、無表情の男が大きなへらのような道具を使って次々に遺体を回転させながら、二人に確認を促します。

この場面は強烈な印象を残します。そこにある遺体は、もはや人ではなく、ホルマリンの中に浮かぶ物体として扱われています。その無常な光景を前に、アグエーも姉も涙を流します。

チェン・ユーシュン監督は、本作を制作したきっかけについて次のように語っています。

「『1秒先の彼女』を撮り終えて時間に余裕ができ、年老いた両親と過ごす機会が増えました。両親の昔話を聞くうちに、その時代への関心が高まり、インターネットで調べてみると、白色テロに関する衝撃的な記事が次々と見つかりました。二・二八事件や白色テロについては、多くの台湾人と同じように漠然と知っていましたが、深く調べたことはありませんでした。

ところが興味を持ち始めると、関連情報が自然と集まるようになりました。パソコンには関連記事が表示され、図書館では関連書籍がすぐに見つかり、友人を通じて専門家とも知り合うことができました。今振り返ると、何か不思議な力に導かれていたように感じます。」

最後に、日本の観客へ向けて監督はこうメッセージを寄せています。

「これは私にとって初めて、実際の歴史にかなり近い題材を扱った作品です。しかし、ただ重苦しいだけの映画ではありません。笑いも涙もあり、ひとつの時代を存分に体感できる作品になっています。観終わったあともしばらくその世界に浸ってしまうような感覚を、日本の皆さんにも味わっていただけたらうれしいです。」

参照:映画『霧のごとく』公式サイト