映画『あんのこと』は、実際の新聞記事をもとにした社会派ドラマです。主人公・杏を演じた河合優実さんや、刑事役の佐藤二朗さんの熱演もあり、強く印象に残る作品に仕上がっています。
● 25歳の中学生活 路上で倒れていたハナ
この映画の元になったのは、朝日新聞が2020年6月1日に配信した有料記事「コロナが奪った25歳の中学生活 路上で倒れていたハナ」です。現在もネット上で読むことができます。
記事には、元刑事の男性について「親身に接してくれ、金銭や性行為などの見返りを求めなかったことに驚いた」と書かれています。そのため、少なくとも記事に登場するハナさんに対しては、誠実で優しい対応をしていた人物だったのだろうと思いたいところです。
記事は、次のような内容から始まります。
『ハナ(仮名、25)は、この春から始まる中学生活を心待ちにしていた。1年生のときに5回ほど登校したきり、13年ぶりだった。しかし、5月4日未明、東京の繁華街の路上で倒れているのが見つかった。
幼い頃から母親に暴力を振るわれた。小学3年生で不登校になり、11、12歳の頃には売春を強いられた。14歳のとき、ホテルで暴力団関係者から勧められて覚醒剤を使い、抜け出せなくなった。そして逮捕。4年前のことだ。
取り調べを担当した元刑事の男性(62)に誘われ、薬物経験者や家族らが集まる会に参加した。親身に気遣ってくれて、金銭や性行為などの見返りを求められないことに驚いた。』
● 事件について、情報を知っている方は?
映画を観終えたあと、実際の事件がどのようなものだったのか気になったのは、ぼくだけではないようです。Yahoo!知恵袋にも、次のような投稿がありました。
『映画「あんのこと」に登場する多々羅刑事のモデルになった人物が逮捕された実際の事件について、記事や事実確認できる情報を知っている方はいませんか?
薬物自助グループを主宰していた刑事が、取り調べ時に女性の下着姿を撮影して逮捕されたという話です。
ライターの高橋ユキさんは「あん」の実話取材で本人にインタビューした後、その人物が逮捕されたと言われていますが、2021年以降の事件にしては、該当する記事がほとんど見つかりません。』
この質問に対し、ベストアンサーでは文春オンラインの記事が紹介されていました。タイトルは以下の通りです。
『女性を「下着1枚」にしてスマホ撮影 組対5課の元刑事逮捕「警視庁内で2人きりの相談中に…」
「落としのプロ」と呼ばれた“人情派”がなぜ?』

蜂谷嘉治という元刑事は、この事件が発覚する以前、高橋ユキさんの取材を受けていました。記事では、ハナさんの人生に関わり、立ち直りを支えようとした刑事として紹介されています。
● 私は毎日のように落語をやりました
その中で語られていた内容を、一部抜粋します。
「その日、東京消防庁からの転送110番で、池袋のラブホテルで男性が意識不明だという通報がありました。その現場にいたのがハナでした。
簡易検査で男性から覚醒剤の陽性反応が出たため、ハナにも使用の疑いがあるとして、女性警察官が事情聴取を担当し、尿の提出を求めたんです。すると『令状持ってこいよ!』と言われた。
女性警察官が驚いて私に報告してきたため、私が取調室に入った。それが最初の出会いでした」
「雑談には応じるけれど、事件については何も話さなかった。そこで私は毎日のように落語をやりました。最初はまったく笑わなかったのですが、『牛ほめ』という落語をやったとき、彼女が思わず吹き出したんです。
一度笑うと、少しずつ心が開いていった。それから彼女はぽつぽつと話すようになりました。ただ、被疑者が最初から本当のことを話すことはまずありません。彼女も最初は嘘をついていましたが、最後には本当のことを話してくれました」
「ハナは21歳でしたが、小学3年生くらいまでしか学校に通っておらず、漢字もあまり読めなかった。算数も指を使わないとできない状態でした。
それまでの彼女は、不特定多数の男性と援助交際のような関係を持ち、お金を得ることでしか生きてこられなかった。
私は、長く働ける仕事に就くことや、税金を納めることの意味を話しました。すると彼女は『私も税金を払える人間になりたい』と言ったんです。そして、自分で介護の仕事を見つけてきました。
しかし、初めての給料は、欠勤もないのに手取り7万5000円しかなかった。その頃、ハローワークの協力雇用主制度で介護職の募集があると連絡を受けました」
これらの証言を読むと、映画が実際の出来事をかなり忠実に描いていたことがわかります。毎日のように落語を披露していたというエピソードは特に印象的で、相手の心を開かせるためとはいえ、簡単にできることではありません。この場面は映画でも見てみたかったと思います。
● 相談に訪れた女性の下着姿を撮影
しかし、その後、蜂谷嘉治は別の事件で逮捕されます。
2020年10月6日、相談に訪れた女性の下着姿を撮影したとして、警視庁組織犯罪対策5課の元警部だった蜂谷嘉治(当時63歳)が、特別公務員暴行陵虐容疑で逮捕されました。
事件が起きたのは2019年7月です。
定年後、再雇用という形で組織犯罪対策5課に勤務していた蜂谷容疑者のもとに、薬物依存に悩む女性が相談に訪れました。蜂谷は、薬物依存者のカウンセリングなども担当していました。
応接室で相談に応じるうちに、話題は生活全般に広がり、やがて女性のダイエットの話になったといいます。その流れの中で、女性は下着姿になり、蜂谷がスマートフォンで撮影し、その画像を女性本人のスマートフォンに送ったと報じられました。
取り調べとは異なり、その場には録画設備もなく、第三者の目もありませんでした。2人きりの空間で起きた出来事だったのです。
女性は後日、別の警察官に相談し、事件が発覚しました。蜂谷はその後、退職しています。
蜂谷は1980年に警視庁に入り、薬物捜査のベテランとして知られていました。特に力を入れていたのが、薬物依存者の更生支援です。
2007年、警視庁は釈放された薬物乱用者を対象にした治療プログラムを始めました。事業終了後も、蜂谷は独自に同様の活動を続け、非番の日を使って月1回、依存者を集める取り組みを続けていたといいます。
薬物依存者を継続的に支援の場へ連れ出すのは簡単ではなく、強い熱意が必要だと関係者は語っています。実際、蜂谷が担当した被疑者の再犯率は極めて低かったそうです。
一方で、その距離の近さが問題を生んだのではないか、という見方もあります。
「捕まえるだけが刑事の仕事ではない」
これは、蜂谷が父親から受け継いだ言葉だったそうです。父親も暴力団担当の刑事で、自宅に関係者を招き、相談に乗っていたといいます。
しかし、どこまでが支援で、どこからが越えてはいけない一線だったのか。その境界が曖昧になった結果、今回の事件につながったのかもしれません。
● 父親や教祖のような存在だった
2021年4月と5月の公判では、被害女性への証人尋問が行われました。
女性は、蜂谷被告について「父親や教祖のような存在だった」と語っています。そして、「個別指導」と呼ばれる時間の中で、次第にセクハラ行為が行われるようになったと証言しました。
事件当日、蜂谷被告はスマートフォンでゲームをしながら女性の話を聞いていたといいます。
その後、「今日の罰は何にするか」という話になり、「お前の裸の写真を撮ってみるか」と言われたそうです。
女性は一度トイレに入り、10分以上悩んだものの、「断ったら見捨てられる」と思い、応接室へ戻りました。
その後、胸を触られ、下着姿を撮影されたと証言しています。
法廷では、女性が涙声になりながら答える場面もありました。
事件の概要を説明した記事よりも、公判でのやり取りのほうが、当時の異様な空気や女性の心理状態がより生々しく伝わってきます。
特に印象的だったのは、「今日の罰は何にするか」という言葉です。
蜂谷は、女性自身に「自分が悪い」と思わせる形で関係を支配しようとしていたのではないでしょうか。そして、“罰”という言葉を使うことで、性的行為を正当化しようとしていたようにも感じられました。
参照:相談女性の下着姿を撮影で逮捕「正義感溢れる元警部」の黒い疑惑
コロナが奪った25歳の中学生活 路上で倒れていたハナ
女性を「下着1枚」にしてスマホ撮影 組対5課の元刑事逮捕「警視庁内で2人きりの相談中に」
