「インド政府も認める、インド仏教界の最高指導者が岡山県新見市出身の男性であることをご存じでしょうか」という書き出しの記事を読みました。ぼくは仏教界に詳しくなく、そのような人物が日本出身であることも知りませんでした。紹介されていたのは、90歳の佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)さんです。

● 女性からピストルを向けられる
佐々井さんが最高指導者になるまでの半生は波乱に富み、強い関心を引きます。まるで小説や映画のような人生です。

岡山県新見市に生まれ、中学2年生のときに雪山で倒れて凍傷を負いました。それ以降、なぜか体に力が入らず、思うように動けなくなったといいます。本人は当時をこう振り返っています。

「力がなくなったんだよ。野球もドッジボールもバレーもやったけれど、どうしてできないのかと泣き続けた。力がないという劣等感だった」

劣等感に苦しみ、中学卒業後は事業で成功しようと上京しますが、うまくいかず、やがて路上生活同然の日々を送ります。酒や女性に溺れ、自殺未遂も三度経験しました。

当時について佐々井さんは、「何もできず、ニヒリズムに陥っていた。孤独で、救われたい、死にたいと思いながら暗い世界をさまよっていた」と語ります。

25歳で救いを求めて出家し、修行の一環として師の勧めでタイに渡ります。しかし修行中にもかかわらず女性二人との三角関係に巻き込まれ、銃を向けられる事態に発展しました。再出発を決意し、32歳でインドへ向かいます。

挫折を重ねながらたどり着いた仏教発祥の地で、彼は厳しい現実に直面します。ヒンズー教の教えに基づくカースト制度により、深刻な差別が続いていたのです。

● インドで抱いた強い怒り
インドで目にしたのは、生まれによって身分が決まる制度でした。人口の多くを占めるヒンズー教社会では、最下層にすら属せない「不可触民」と呼ばれる人々が過酷な差別を受けています。



佐々井さんは、解放運動に尽力した政治家アンベードカルを通じてその実態を知り、現状を目の当たりにして強い怒りを覚えました。

「不可触民は動物以下の扱いを受けていた。神とは本来、人を救う存在ではないか」

この思いから、命の危険を顧みず行動を起こします。不可触民を身分制度のない仏教へと導き、改宗を進めていきました。ヒンズー教徒から命を狙われる状況でも信念を曲げませんでした。

50年以上の活動の結果、数十万人規模だった仏教徒は約1億5千万人に増加し、佐々井さんは最高指導者として認められるようになります。

4年ぶりに帰国した日本では、各地で講演を行い、かつて大きな影響を受けた師の教えを伝えました。和歌山県の高野山大学では次のように語っています。

「闘いなさい。師は戦時中に闘い、警察に捕らえられ、いつ命を落とすかわからない状況にありました。私もその弟子です。これからも続けます」

さらに、人生についてこう述べました。

「自分の人生を変えられないと言うのは簡単です。しかし道は何でも構いません。一歩ずつ進んでほしいと思います」

講演を聞いた学生は、「強い覚悟と、自分の力で変えるという意志を感じた」と話しました。闘い続けてきた人生だからこそ、その言葉には重みがあります。

 

参照:「酒と女に溺れ自殺未遂」インド仏教界の頂点に立つ佐々井秀嶺さん 暗黒を彷徨った日