「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮への帰還事業をめぐり、北朝鮮政府の責任を認め、脱北者ら4人に計8800万円の賠償を命じた判決が2月に確定しました。「この判決が、北朝鮮に残された人々を救うきっかけになってほしい」と訴えています。

● 「地上の楽園」への憧れを募らせて
裁判を起こしたのは、戦後に進められた帰還事業で「地上の楽園」とうたわれた北朝鮮に渡り、現地で過酷な現実に直面した脱北者たちです。その中には、家族のために海を渡った日本人も含まれています。

「もし北朝鮮に行っていなければ、どんな人生だったのでしょうか」。今年85歳になる斎藤博子さんは、これまでの歩みを振り返ります。3年で帰国できると聞かされて渡航しましたが、実際には40年間帰国できませんでした。人生の大半を北朝鮮で過ごしたことになります。

斎藤さんは福井県出身で、中学卒業後、17歳で在日朝鮮人の男性と出会い、結婚しました。やがて在日本朝鮮人総連合会の関係者が自宅を訪れるようになります。

それは、日本と北朝鮮の赤十字協定に基づき1959年に始まった帰還事業への勧誘でした。帰還事業とは、在日朝鮮人とその家族による日本から北朝鮮への集団的な永住帰国あるいは移住の事をいいます。「日本人妻は3年で帰国できる」「医療や教育に費用はかからない」と説明を受け、同居していた夫の家族は次第に北朝鮮への期待を高めていきました。

「日本に残るなら孫は連れて帰る」。義母にそう言われ、生後1歳の娘のために、夫の家族とともに北朝鮮へ渡る決断をします。

1961年、20歳だった斎藤さんは、夫と幼い長女とともに船に乗りました。1984年まで続いたこの事業で、在日朝鮮人ら約9万3000人が北朝鮮へ渡り、そのうち約1800人が日本人妻だったとされています。

● 水道のない暮らしと遠くの光
新潟港を出発した船が北朝鮮に近づくと、灰色の町が目に入ってきました。迎えに来た人々はやせ細り、汚れた顔で、子どもたちは満足な衣服も身につけていません。

だまされた――そう感じたものの、抵抗する間もなくバスに乗せられました。車内で配られた菓子は、おがくずのような味がしました。

割り当てられたのは古いアパートの一室です。水道はなく、川でくんだ水を毎日4階まで運び、使い終えた水を下ろす生活が続きました。電気も頻繁に止まり、暗い部屋の窓からは国境の向こうにある中国のネオンがかすかに見えました。

配給はわずかで、日本から持参した衣類や日用品はすべて食料と交換しました。渡航後まもなく夫の両親は亡くなり、義姉も厳しい生活の中で命を絶ちました。

同じ境遇の日本人妻もいましたが、日本語で話すことは禁止されていました。「顔を合わせると愚痴ばかりで、きつい言葉を先に覚えてしまいました」と振り返ります。現地ではさらに5人の子どもを育てましたが、夫の収入だけでは生活は成り立ちませんでした。山でワラビやタンポポを採り、ドングリで作った酒を闇市で売って生計を支えました。

1993年、夫は結核で亡くなります。同じ頃、深刻な飢饉が発生し、配給は完全に止まりました。人々は工場の機械を壊して銅線を取り出し、中国へ売るなどして、必死に生き延びようとしました。斎藤さんも子ども達とともに街へ出て、密売に関わります。

● 「日本に行かないか」との誘い
その後、中国人ブローカーから声をかけられます。「日本に行って働けば、家族を助けられる」。40年ぶりに日本の地を踏めるかもしれない――その思いが募り、脱北を決意しました。

2001年、古タイヤを浮き具にして国境の川を渡り、中国へ逃れました。そこで別のブローカーから、日本行きの条件として「自分の妻をあなたの娘として連れていってほしい」と求められます。断れない状況の中で受け入れ、その年の8月、60歳で帰国しました。

今年2月10日、北朝鮮政府が控訴せず、判決が確定しました。弁護団は賠償の実現に向けて資産の差し押さえなどを検討していますが、実際に支払いが行われるかは不透明です。

この裁判は賠償だけでなく、帰還事業で北朝鮮へ渡った日本人妻の存在を広く知らせた点でも大きな意味がありました。

斎藤さんが気にかけているのは、現地で出会った日本人妻たちです。帰還事業で渡った日本人妻は約1800人とされます。「残された時間は多くありません。一日も早く里帰りできるようにしてほしい」と話します。

北朝鮮に残り、日本へ帰りたくても帰れない日本人妻がどれほどいるのか、正確にはわかっていません。NPO法人「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」によると、日本に戻れたのは約200人にとどまり、多くは今も現地に残されています。

日本政府は安否調査を北朝鮮側に求めていますが、進展は見られていません。今回の判決が、取り残された人々の帰国につながることを、斎藤さんは願い続けています。


参照:「地上の楽園は、この世の地獄だった」北朝鮮に渡った日本人妻の慟哭、40年の苦しみ