1980年代後半に、フランスで残虐な行為を繰り返したミシェル・フルニレというシリアルキラーが存在します。彼は処女信仰に取り憑かれ、妻のモニク・オリヴィエと共に若い女性12人を誘拐し、強姦し、殺害しました。
● 5人の少女を強姦し懲役5年
ミシェルは1942年、フランスのアルデンヌ県スダンで、金属加工業を営む父親と専業主婦の母親の次男として生まれました(兄が1人、妹が2人います)。後に彼が精神科医に語ったところによると、4歳の頃から母親に近親相姦を強要され、歪んだ性格が形成されたとのことです。
両親が離婚した後、彼を引き取った父親は重度のアルコール依存症で、育児を一切放棄しました。荒れた環境の中で、ミシェルは学校でも同級生の持ち物を盗むなどの問題行動を繰り返し、その悪癖は成人になっても変わりませんでした。
大工として働いていた1964年に結婚しましたが、2年後には窃盗と暴行の容疑で逮捕され、呆れた妻に見捨てられ、1970年には別の女性と再婚します。
1984年には5人の少女を強姦し、懲役5年の判決を受けました。この事件により2番目の妻とも離婚したミシェルは、獄中から雑誌に「孤独を忘れるため、年齢を問わず誰とでも文通したい」とのハガキを送り、文通欄に掲載されました。これに目を留めたのがモニク・オリヴィエ(1948年生)です。
● 犯行に加担すれば元夫を殺してくれる
モニクは何度も刑務所に面会に訪れたことで、二人の関係が急速に親密になりました。1987年10月に仮釈放された後、彼らは結婚しました。
ここで、ミシェルは自らの強い願望を再度モニクに伝えます。「処女に対して凌辱の限りを尽くしたい。」理解しがたいことですが、彼は10代後半から処女を犯さなければ生きていけないという強迫観念に囚われていました。
それに対し、モニクは夫の欲望を満たすために協力することを申し出ます。彼女がミシェルに惚れていたことは当然ですが、彼が提案した内容が大きな要因でした。犯行に加担すれば元夫を殺してくれるというのです。
モニクはミシェルと出会う前に、自身にひどいDVを行った夫と離婚しており、いつか復讐することを誓っていました。それをミシェルが代わりに果たしてくれるのであれば、願ったり叶ったりです。
しかし、モニクの夫が殺されることはありませんでした。正確には「殺害を依頼したが、失敗(または実行されず)に終わった」というのが真実です。逮捕に至るまでモニクは彼の殺人に協力し、その結果、彼女は28年の確定期間付き(軽減や仮釈放が不可能)の終身刑を宣告されました。フルニレには軽減措置なしの終身刑が宣告されています。
● イザベルの遺体はその19年後に発見されました
こうして結婚した夫妻、ミシェルとモニクは犯行を開始します。1987年12月11日、ヨンヌ県オセールで高校から帰宅途中のイザベル・ラヴィル(当時17歳)が誘拐されました。彼女は2日前から狙われていたターゲットで、この時モニクは彼女を車に同乗させ、別の場所で車が故障したふりをしながら待機していたミシェルのもとに直行します。
手助けを装って車から降りた瞬間、ミシェルはイザベルを強引に自身の車に乗せ、モニクと共に自宅へ向かいます。そこでミシェルは何度もレイプを行った後、首を絞めて殺害し、遺体を自宅から20キロ離れた井戸に投げ捨てました。イザベルの遺体はその19年後に発見されています。
1988年4月には、2番目の犠牲者であるファリダ・ハンミッシュ(当時30歳)が殺害されました。彼女の場合は、金銭目的で殺害されています。
同年3月、ミシェルの刑務所仲間で、当時服役中だった男から、俺の妻と一緒に財宝を運び出してくれという依頼がありました。
その内容は、フォントネー・アン・パリの墓地にイタリアのギャングが強奪した50万フラン相当(約1千100万円)の金品が隠されているというものでした。信じがたい話ですが、ミシェルはこの話を見逃すことはありませんでした。そこで彼は実際に存在する金品を独り占めにし、男の妻であるファリダを殺害してしまいます。
大金を手に入れたミシェルとモニクは、同年6月にアルデンヌの森に位置するソトゥ城を購入しました。フランスには古城物件を専門に扱う不動産業者が存在し、城を自宅として利用することは珍しくありませんでした。
ホラー映画には恐怖の館や城が登場しますが、実際にミシェルとモニクはその後、この場所を舞台に犯罪を続けていくことになります。
● ドアから転がるように路上に落ちた
2人の犯行は、2003年に彼らに拉致されかけた13歳のベルギー人少女が訴え出たことから明らかになります。
2003年6月26日、ベルギーの都市シネイで、マリー・アサンション(当時13歳)は登校中に路上で、白髪でメガネをかけた男から声をかけられました。男は自分も学校に行く用事があるが、道がわからないので案内してほしいと頼みました。不審に思った彼女は学校の方向を指差し、その場を離れようとしました。
しかし、男はマリーの反応に機嫌を損ね、「人を疑うんじゃない! 失礼だぞ!」と激怒しました。その厳しい言葉に圧倒された彼女は、ついに車に乗ってしまいました。
彼女の予感は的中し、男は突然目の色を変えマリーの体を掴もうとしました。あっという間にロープで縛られ、後部座席に投げ込まれました。車が急発進し、彼女は恐怖で震えるしかありませんでした。
しかし、拉致現場から10キロ離れた交差点で赤信号により車が停車しました。その瞬間、マリーは全力を尽くして後部座席のドアを蹴り上げ、わずかに開いたドアから転がるように路上に落ちました。
決死の脱出に成功した彼女は後続車に助けられ無事に保護されました。さらに現場にいた人が逃走した車のナンバーを記憶しており、すぐに警察に通報しました。身元が特定された男=ミシェルと妻モニクは逮捕されることになります。
● 処女に対する自身の強迫観念
2006年1月、ミシェルとモニクはフランスに移送されました。ここで行われた尋問で、ミシェルが良心の呵責を感じていないこと、被害者や遺族に対して何の関心も持っていないことが明らかになりました。
また、この過程で彼は捜査官に対し「処女の女性と結婚したことがないのが、自分の生活の中で最も絶望的な部分だ」と改めて処女に対する自身の強迫観念を主張しました。
この偏った考えがどのように彼の中で増幅していったのか、どこで始まったのかは不明です。捜査員に対して主張しているということは、彼が自分の考えに賛同してくれると信じていると考えられます。
裁判は2008年3月27日から5月28日まで行われました。ミシェルは黙秘権を行使しましたが、証人として出廷した彼の兄アンドレが衝撃的な事実を明らかにしました。
ミシェルが子供の頃に母親から受けたとされる性的虐待や父親のアルコール依存症、学校での盗みはすべて弟の作り話だと主張しています。つまり、ミシェルには後に残虐な殺人を行う背景となったと考えられていた幼少期のトラウマは一切存在しなかったのです。兄によれば、ミシェルの虚言癖は幼少期から始まったとのことです。
しかし、ウィキペディアの記述を参照すると、ミシェルが主張した性的虐待や父親のアルコール依存症は事実としてそのまま掲載されています。これは一体どちらが正しいのでしょうか。
兄アンドレが単に否定したかった事実なのでしょうか。Netflixで「フルニレ事件」のドキュメンタリー番組が視聴可能なので、その内容がどのように描かれているのかも注目して視聴したいと思います。
参照:「被害者には9歳の女の子も」“処女とする”ため12人を殺害⋯妻はなぜ協力した?
ミシェル・フルニレ「ウィキペディア(Wikipedia)」

