「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの社長・大東隆行(おおひがし たかゆき)さんの出勤時間は、午前6時30分でした。ところが本人はさらに早く会社に来て、本社前の道路に水をまき、掃除をするのが日課でした。水をまいていると近所の人が声をかけ、挨拶を交わしていたといいます。撃たれた日は雨でした。もし晴れていれば、人目があったため犯人は踏み切れなかったかもしれません。

掃除を終えるとすぐに仕事に取りかかりますが、社長室にこもることはほとんどありませんでした。昼間は店舗を回り、ときには厨房に立って餃子を焼くこともありました。徹底した現場主義の社長で、口癖は「僕は自分のことを社長と思ったことないよ」でした。

● 「決して犯人ではありません」
2013年、京都市内の本社前で早朝に出勤した大東さんは、車を降りた直後、何者かに至近距離から銃撃されました。犯人は「雇われたプロ」とみられ、国内では珍しい25口径の自動式拳銃が使われました。発射された4発はすべて大東さんの腹や胸に命中しています。

この事件で殺人などの罪に問われている田中幸雄被告(59)の初公判が開かれました。田中被告は起訴内容を否認し、次のように主張しました。

「私は決して犯人ではありません。決してが付きます」

田中被告は福岡に拠点を置く特定危険指定暴力団・工藤会系の組幹部で、事件の9年後に逮捕されました。別の銃撃事件では工藤会のヒットマンと認定されていますが、本件では否認を続けています。

現場に残されたたばこの吸い殻2本から検出された唾液のDNA型は被告と一致し、犯行に使われたバイクの一台からは射撃残渣が検出されました。また、もう一台の盗難バイクの周辺防犯カメラには、被告の幼馴染が所有する軽自動車が映っていました。ただし、いずれも間接証拠で直接証拠はありません。

● 異色の経歴
田中被告の経歴は暴力団組員としては非常に珍しいものです。東京都内の大学を中退後、関西地方の旅行会社などで働いていました。その後、工藤会の傘下組織を紹介され、組員になったとされています。

福岡県大牟田市出身で、県立大牟田北高校を卒業後に青山学院大学へ進学したといいます。中退後も33歳まで旅行会社や運送会社などを転々とし、一般のサラリーマンとして生活していました。金融会社に勤務していた際のトラブルをきっかけに工藤会の組織に助けられ、それが縁で構成員になったとされています。

工藤会は福岡県北九州市に本部を置き、市民や企業に対しても銃撃を含む暴力行為をためらわない組織として知られ、日本で初めて「特定危険指定暴力団」に指定されています。

田中被告を知る元捜査員は次のように話します。

「物腰ははっきりしていて印象は悪くない。ヤクザである以上、自分なりの筋を通そうとするタイプです。パソコンが得意で、組織の書類の多くを作っていたようです」

● ヒットマンとしての過去
田中被告はパソコンに詳しい一方で、拳銃を扱うヒットマンとしての側面も持っていました。大学中退の元サラリーマンという経歴とは対照的です。

「2008年1月には、福岡市博多区の路上で大手ゼネコン大林組の社員が乗った車に向けて発砲し、車を損壊させました。この事件の捜査は難航し、逮捕は10年後の2018年6月でした」(担当記者)

「餃子の王将」事件の件での取り調べでは雑談には応じるものの、核心部分は黙秘したといいます。一部の法曹関係者は、公判維持の難しさを懸念していました。

「何が無罪や、工藤会が何やねん。うちの大切なお父ちゃんを殺したんや!」

罪状認否のあと、遺族の女性が叫び、法廷は静まり返りました。検察側の立証の壁は高いとされています。

事件の動機も依然明らかになっていません。王将の創業家一族は九州の経営者との間に250億円を超える不適切取引があり、大東さんが解消に動いていたことが分かっていますが、事件との関係は確認されていません。銃撃の指示役も不明のままです。

判決は来年10月に予定されており、注目を集めています。

 

参照:餃子の王将事件 大学中退「田中幸雄容疑者」はヒットマンというよりテロリスト
   「私は決して犯人ではありません」工藤会ヒットマン被告(59)は全面否認…
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