2024年10月14日、米ハワイ州の刑務所で、遺体で発見されたのは福迫(ふくさく)雷太受刑者(59)。福迫受刑者は1994年、同州ホノルルで占い師の藤田小女姫(こととめ)さん(当時56)と長男の吾郎さん(同21)を殺害した容疑で、終身刑の判決を受け30年近く服役していた。

● 核心については黙秘
福迫はハワイ・ホノルル郊外にあるハラワ刑務所内床で首に刃物が刺さった状態で見つかり、10月14日に死亡が確認された。頭などに殴られた形跡もあった。

福迫は獄中からインタビューに答えるなど冤罪を訴え続けていた。事件から22年経った2016年に日本テレビが福迫に取材をしている。福迫は「私の家族のことが心配なので情報はあまり言いたくないです。私の元恋人、家族のことが心配すぎて、当時色んなことが言えませんでした。私は日本の警察に誘拐されたようなものなのです」と、事件にはまだ明らかになっていない事実があることをほのめかしながらも、核心については黙秘した。

米ハワイ州大陪審は同房の男(38)を第1級殺人罪で起訴した。刑務所職員によると、福迫は模範的な囚人だったとしており、動機などを調べている。ハワイの刑務所内で殺人事件が起きたのは今年に入って2件目だという。

福迫の弁護人を務めたマイルス・ブレイナー弁護士によると、福迫は「ギャング集団から脅されている」と何度も訴えていたという。起訴は5月13日付。

福迫が罪に問われたのは、1994年に起きた2件の殺人事件だった。



ホノルルで、占い師の藤田小女姫(こととめ)は放火された自宅高層マンション内、長男の吾郎は付近の駐車場に止められた車内で遺体で、それぞれ発見された。

● その夜を境に予知能力に目覚めた
9歳のとき、ハワイから来た狐が耳元で「コトドヒメ」とささやいた――。その夜を境に予知能力に目覚めたという藤田小女姫は、政財界の大物たちまでもが頼るほどの人気占い師として名をはせた。

藤田小女姫は福岡県福岡市出身。11歳で「天才少女占い師」「千里眼少女」としてマスコミに登場し、時代の寵児となる。別名は藤田小乙姫とも。

岸信介、福田赳夫、松下幸之助、小佐野賢治などの政財界の大物を顧客として財を成した。ある日、岸が小女姫に「安保条約は通らんか?」と訊いたところ、小女姫は「断固としておやんなさい。通ります。その代わりに、あなたの内閣は長く持ちませんよ」と答えた。

1960年6月19日、日米新安全保障条約は成立するが、4日後に岸内閣は総辞職する。この一件をきっかけに、小女姫は政財界とのつながりを強めていき数億円という資産を築いていったという。

1961年、不動産業者と結婚するが、3年で離婚した。

1968年3月13日に名目上の経営者となっていたサウナが火事で死者を出す惨事となり、経営者責任を問われ、刑事裁判で業務上失火、同過失致死罪で懲役10ヵ月、執行猶予3年の有罪判決が下された。これらのことからマスメディアからその占いの能力について疑問を投げかける批判が起こり、応援してきた年配の有力者たちも離れて行った。

1973年にハワイに移住する。独身だった彼女はその頃、生後間もない藤田吾郎を養子に迎えた。

1994年2月22日、ハワイに移住して21年。小女姫は56歳になっていた。

● 今すぐ2万ドル家に待ってきて
仕事では充実していた彼女だったが、1つ頭を悩ませていることがあった。それは養子に迎えた息子。ハワイ大学の学生だった吾郎に小女姫は自分名義のクレジットカードを渡していたが、高額の請求が絶えなかった。吾郎は度々カードを友人に貸し、使わせていたという。

翌日午後3時。小女姫の財産を管理する男性のもとに電話が入った。電話は「今すぐ2万ドル家に待ってきてもらいたいの」という内容だった。しかしアメリカの銀行はキャッシュのデリバリーは禁止されているため、行うことができなった。

すると小女姫は「人の命がかかってるんです」と声を張り上げ電話を切った。何か起きていると思った彼は総領事館に連絡した。

午後4時半頃、総領事は部下数人と小女姫の高層マンション32階の部屋へと向かった。すると、扉が開かず焦げ臭い匂いがした。駆けつけた消防隊員が部屋へ突入。小女姫が倒れており、さるぐつわをかまされ、さらに胸を銃で撃たれていた。すでに意識はなく懸命な蘇生処置をしたが間もなく死亡が確認された。

少し遅れて、近くのホテルの駐車場に止めてあった赤いスポーツカーが火を吹いた。車の助手席からは、21歳になる息子吾郎の遺体が発見された。すでに死亡しており、両手両足は粘着テープでぐるぐる巻きにされ、母同様、胸を撃たれた痕があった。

警察は犯行の手口とタイミングから同一犯と断定。日本の有名占い師と息子が惨殺された事件には、日本の報道陣も多く駆けつけた。

そんな時、「宝石が質屋に持ち込まれた可能性が」と1人の記者より重要な証言が出てきた。それは小女姫の高層マンションから300mほどのところにある貴金属買取店だった。その宝石類は事件の翌日に持ち込まれ、小女姫のことを知る店主は彼女の物に間違いないのでは?と推測。

その後の捜査で小女姫の持っていた物だと判明。これらを持ち込んだのは、福迫(ふくさく)雷太という日本人だった。

● 吾郎のカードで借金をしていた福迫
警察は直ちにホノルル市内の福迫の部屋へ向かうが、福迫は事件の2日後、日本へと逃げていた。福迫は事件の翌日、貴金属を質屋に持ち込んで金に換え、その次の日には出国し神奈川県の友人宅へ身を寄せていた。

福迫はカリフォルニア州の大学を中退したのち、フリーターのような生活を経て事件が起きる1年前の1993年にある女性と一緒にハワイへ移住していた。

だが福迫は銃の密輸などの違法行為をしており、それを日本で売りさばき、暴力団との繋がりもあったと思われる。そして吾郎のカードを使うなど借金をしていたのも福迫だった。吾郎とはダイビングを通して知り合い、毎日のように遊ぶようになったという。

福迫はカリフォルニア州の大学を中退したのち、フリーターのような生活を経て事件が起きる1年前の1993年にある女性と一緒にハワイへ移住していた。

だが福迫は銃の密輸などの違法行為をしており、それを日本で売りさばき、暴力団との繋がりもあったと思われる。そして吾郎のカードを使うなど借金をしていたのも福迫だった。吾郎とはダイビングを通して知り合い、毎日のように遊ぶようになったという。

裁判が始まり、検察は福迫の単独犯を主張。そして提出される証拠はどれも福迫が犯人だと示すものばかりだった。

一方、福迫は「私は友人とその母を殺していません。この件に圧力をかけている人に約束します。私は何も言いません。何もしゃべりません」とまるで誰かに脅されているかのような発言をした。

弁護士は防犯カメラの画像のコピーを証拠として提出。それは吾郎の遺体が発見された駐車場から3kmほど離れたスーパーのカメラに福迫が映っている画像だった。

その時刻は10時33分41秒。車に火をつけたとされる時間が10時30分ぴったりだったとすれば、そのわずか4分後に3km離れたスーパーで福迫は買い物をしている。福迫が単独犯だとすればこの移動は不可能だと弁護側は主張したのだ。

だが福迫は「私は約束します。何も言いません。家族には何もしないでください」と何も語らなかった。そして2件の犯罪で2級殺人での有罪という判決が下った。ハワイでは最も重い終身刑となった。

この事件は、総合的に判断して福迫雷太が犯人に仕立て上げられたと思われる状況が多く、事件の背景の闇がかなり深い。まだ、彼を殺害した同房の男からの発言が記事になっていないので、それが出てから新たな展開に至るのではないかと思われる。
 

参照:ハワイ獄中「ギャング集団から脅されている」訴える日本人受刑者を殺害、同房の男起訴  

              米刑務所で刺殺された福迫雷太受刑者、藤田小女姫さん母子殺害で終身禁錮刑受け服役中