「正体」2024年製作 日本

藤井道人監督の「正体」は、染井為人(そめい ためひと)の同名ベストセラー小説を、横浜流星の主演で映画化した作品。

一家3人を惨殺した凶悪な殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(かぶらぎ:横浜流星)が脱走した。潜伏し顔を変えながら逃走を続ける鏑木を刑事・又貫(またぬき:山田孝之)は追う。鏑木の真の目的とは。

映画版の「正体」が、とても評判のいいことはネット記事で読んでいたので、いつかは見ようと思っていた。

亀梨和也と市原隼人が出るドラマ版はすでに見ていて、ストリーがまだ頭に残っているうちに見るのはどうなのか?と少し不安を覚えつつ、視聴した。結果、横浜流星の確かな演技力もあって、楽しめた映画の一本となったが、ドラマ版のほうが心に響いた。なにより、市原隼人のシーンが抜群に良かった。

映画版では、流星以外では、山田孝之の演じる刑事も、重厚な雰囲気を持っていて見せてはくれたけど、少し固すぎると感じた。笑顔をまったく見せない演技には息苦しさを感じる。笑顔を見せつつ、追い詰める人物像こそが迫力あるシーンに繋がるのではないか。

ところで、この「正体」という物語。根本的に何かおかしいのではないかと、映画を見た後に感じた。

逃走中の鏑木は、工事現場で働いているシーンで、怪我をした同僚の為に法律の知識を使って事務所から労災保険のお金を受け取る事に成功する。その同僚と部屋で飲んでいる時に、鏑木の部屋に六法全書があるのを見つける。「おまえ、あれか弁護士になりてえの?」と、同僚から聞かれる。

そのように法律の知識を得て学習している人が、悲惨な血だらけの殺人現場に遭遇して、警察も呼ばずに自分の手でいきなり被害者の体から刺されたナイフを引き抜くだろうか。たとえば法律を学びだしたのが逃亡後だとしても、素人でもわかるように、自分に殺人容疑がかかる可能性のある行動を取るものだろうか。

また、法律の知識があったなら、無罪の証明の為に刑務所から脱走するということではなく、無罪であるということをまずは関係者に必死に説明するのが筋なのでは。

と、一個疑問に思い始めると、この物語全体のツッコミどころが次から次へと湧いてくる。

そのストリーの不自然さを気にしなければ、『横浜流星の美男子ぶりと演技を堪能でき、関わった人全員から愛されているキャラを気持ちよく味わうことができる良き映画でした。』という感想で終わるはずなのだが。