中村うさぎさんの書いたエッセーの本は、文庫で出るたびに買って読んだものだ。
買い物依存症になっていたころのことを書いた「ショッピングの女王」から始まり、デリヘル嬢をする体験などが書かれている「私という病」など、どれも自分自身の壮絶な体験をわかりやすく、時にユーモラスに書かれていた。そして生き方を考えさせられてしまう箇所もあり、他の作家では味わうことができない読み応えがあった。
今回の4回にわたった記事に書かれていることは、どの回もたいへんな経験の話だ。それでいて自分の生活にも、心情的に重なる部分があるので、じっくり読んだ。
特にゲイである旦那さんのことをインタビューで答えていた「今の私はあなたのお荷物だから・・・・・・・・」という3回目のタイトルの内容が印象深い。
● 結婚すればいいんですね!
ゲイの人と結婚をしていたという事は、エッセーにも何度か出ていたので知っていたけれど、どのような理由だったのかを、今回の記事で改めて知ることができた。
香港から来たゲイの夫は、元々は当時から飲み友達で仲のいい女友達のような関係だったという。夫は当時、香港に帰らなければならない状況でワーキングビザを取得するために、入国管理局に一緒に行った。でも、職員に「スキルのない外国人にはビザは出せない。どうしても日本にいたいなら日本人女性と結婚すればいい」と、言われたという。
中村さんは職員の物言いに腹がたって「じゃあ結婚すればいいんですね!」と言って、そこから本当に結婚することになったという。
ちょうど中村さんは買物依存症の頃で、出版社に原稿料を前借りに行ったりと、お金集めに奔走していた。それで夫は「結婚したら、この人の人生を半分背負うことになる」と考えその覚悟を自問自答したと中村さんは後から聞いたという。
また、ホストにはまって散財した時も夫は「こういう人だってわかっていて、覚悟して結婚したんだから」と、思っていた。
そんな夫もしばらくして「好きな人ができた」と言うので、中村さんは自分の弟に彼女ができたような気持で喜んでいた。そうしたら「その彼氏と同棲したいから、部屋を借りたい」と言うので中村さんが保証人になって一緒に契約しに行った。
後に、「あなたに対して本当に申し訳なく思っている。ごめんなさい」と、メールが夫から来たと言う。中村さんは「私だって、恋愛したらそうなっちゃうし。好きな人と一緒に暮らしたくなる気持ちはわかるから、怒ってもいないしショックも受けてない。家の外で恋愛するのは自由って最初から約束してたでしょ」と、メールに返信した。
ここいらは、普通の夫婦だとこうはいかない。これはそれぞれの想いを尊重した理想的な生活スタイルにも思えた。但し、夫の恋愛はうまくいかなくなったようで、また中村さんのところに戻っている。
● ちゃんと返さなきゃいけない
中村さんは2013年の夏、急に食欲がなくなり手が震え始めておかしいなと思った。その後、息切れがひどくなり歩くのも辛い状態で病院に検査に行ったら、即入院となった。いろんな検査をしても病名がわからず、体調はどんどんわるくなっていった。2週間後に心肺が停止し、医師が蘇生して三日後に意識が戻った。その後、ステロイドを投与したら症状が少し緩和したので「スティッフパーソン症候群なのではないか」と言われて、その病名の治療が始まった。
ひとりではトイレにもいけなくなった、体が不自由な状況で稼ぎもない中村さんは夫に、提案した。
「私はあなたにとってお荷物で、こんな役立たずを妻にしていても、あなたにとって何もいいことはないと思うの。だから自由にしていいよ。」
そうしたら夫が、
「あなたには、ちゃんと返さなきゃいけないものがあるから」と、言ったという。
「何を返すの?」と、聞くと
「あなたは私に対していろいろやってくれた。あなたはたいしたことじゃないと思っているかもしれないけれど、私にとってはすごく大きな恩なの。あなたが私にずっとしてきてくれたことの貯金がまだたくさんあって、それを私は返していかないといけないの」
と、夫が答えたという。
中村さんは夫に「今までしてもらったことを返していこうと思う」って言われた時に、そういう絆みたいなものを知らないうちに築いていていたんだなと、思ったという。
このエピソードも、中村うさぎさんの今までの著作がどのような内容で、またどのような発言をしたかを知ることにより、より重みをましてくるように思える。中村さんへのインタビュー記事は、病気、夫婦、恋愛、人へのおもいやりなど、色々考えるヒントが詰まっている。
参照:「今の私はあなたのお荷物だから離れよう」とゲイの夫に告げた日 稼ぎもない、体も不自由な中村うさぎが築いた「夫婦の形」
「絶望しました」病床で妄言を吐いた2週間後に心肺停止した中村うさぎ「気づいたら車いす生活」原因不明、難病疑いで