「ひらり」 放送期間:1992年10月5日~1993年4月3日 日本
 

父がよくテレビで相撲を見ていた。それにつられて母も見ていたが、ぼくはまったく興味がわかなかった。せいぜい相撲は”ちばてつや”のマンガの「のたり松太郎」が好きなくらいだった。

無理やり食べて太った体形は体に悪そうだし、見た目もたまに筋肉質の人はいるものの、ぶよぶよしているように見えて、他の格闘技を見るほうが好きだった。

そんなわけで、相撲が大好な女性が東京・両国を舞台に夢をかなえるために困難に立ち向かう、NHK再放送のドラマ「ひらり」は最初は見ていたのだが、ストリーに入り込めず録画だけして止まっていた。

それでひさびさに、きまぐれで間を飛ばして最近の「ひらり」を見た。

ひらりとひらりの姉の『姉妹・二人』で好きになっている医者がいて、姉はそのことを妹に隠している。ひらりは姉に自分にどうしたら振り向いてもらえるか相談をしている。

ひらりのお母さんは、友人と会っていた時に学生時代に思われていた男性に偶然ひさびさにスナックで会った。ふだん自分に無関心になっている夫とは違って、話が弾んだ。だんなさんはそれを知り、嫉妬している。と、いろいろあってやたら面白いドラマになっていた。

さかのぼって、一気に飛ばしている回の「ひらり」を夢中で見続けた。『ひらり』の放送当時(1992年10月~1993年3月)に、平均視聴率36.9%、最高視聴率42.9%を記録する大ヒットだったというのもうなずける。

● 「ひらり」は私にとって最高のご褒美
脚本家・内館牧子は、相撲部屋の日常から、稽古を含めた勝負の悲哀、故郷への想いまでを的確に表現していた。それだけではなく、OLの本音、主婦、夫それぞれの立場からくる悲哀も物語にうまくミックスされているので、ついつい身を入れて観てしまう。

何よりひらりを演じた石田ひかりのおもいっきり天真爛漫なところが、スカッとさせるし笑わせてくれる。

でも彼女のインタビューを読むと、ドラマのように笑って明るく思うがままにスイスイというわけにはいかなかったようだ。「スタートが売れないアイドル歌手」と彼女は自分を振り返っている。以下、彼女のインタビューからの抜粋です。

『私は15歳のときにアイドル歌手として芸能生活をスタートするんですけれども、本当に鳴かず飛ばずで。その時期が3年間あり、そんな私を救っていただいたのが、今年4月に亡くなられた大林宣彦監督でした。

1991年に大林監督の映画「ふたり」に主演させていただいた後にドラマ初主演となった「悪女」(92年)、そして「ひらり」につながっていきました。

あの3年間は本当につらかったんです。ミスタードーナツの前でビール箱の上で歌っても誰も振り返ってくれなかったり、紙テープの代わりにトイレットペーパーを投げられたり…。だからこそ、制作発表は幸せな気持ちでいっぱいでした。本当に全ての苦労が報われた。「ひらり」は私にとって最高のご褒美です。』



● 倒れなきゃヒロインじゃない
このインタビューは記事では3回にわたっていて、それぞれが興味深い内容になっている。特に体調を壊した時の話がまた悲惨な状況。

『念願の朝ドラでしたので、撮影が大変だと思ったことはありません。つらいことは睡眠不足ぐらい。若かったのでせりふが覚えられないこともなく、リハでほぼ覚えました。

それでも、一度だけ倒れたことがありました。12月27日まで年内最後の撮影をこなし、28日から紅組司会に選ばれた紅白歌合戦のリハがスタートして、本番が終わった元日の未明に家に帰り、2日からCMの撮影でカリブ海にあるバハマに行ったんです。

そこでイルカと一緒に泳ぐ段取りでしたが、ハリケーンが通過した後で天気は悪いし、水は冷たいしで、全然撮影ができなかったんです。最後は強引に冷たい海の中に入ったんですが、それで体調を崩し、帰国後に起き上がれなくなってしまったんです。

はうようにしてスタジオに行きましたが、撮影にならず、診療所で点滴を受けては撮影しての繰り返し。でも、それが朝ドラヒロインの登竜門みたいな感じでしたね。倒れなきゃヒロインじゃない!みたいな時代です。

カットが掛かるたびにバタンと倒れていたそうで、「大変だ!」ってなって担架代わりに畳一畳に乗せられて診療所に運ばれ、意識が戻るとまた現場に戻されるという…。当時、その様子を見ていた記者の方は「なんてむごい現場なんだ…」といまだに言っていますよ。』

見ているほうは、”面白いドラマだ!元気をもらえる!”で、楽しんでいられるけど、それを製作しているほうの大変さは言葉がないくらい。

「ひらり」のヒットを受け、石田ひかりは1992年紅白の紅組司会に起用された。2年連続で紅組司会を務めた93年は、藤井フミヤが石田の主演ドラマ「あすなろ白書」の主題歌「TRUE LOVE」を披露し、「私がフミヤさんに花束を渡したんです」と懐かしそうに振り返ったとのこと。

参照:【朝ドラのころ】石田ひかり(1)「ひらり」は私にとって最高のご褒美

   【朝ドラのころ】石田ひかり(2)そうそうたる先輩方との共演…学んだ一流ほど謙虚
   【朝ドラのころ】石田ひかり(3)倒れなきゃヒロインじゃない!?現場と診療所行ったり来たり