まるで公開処刑かのように、三浦瑠麗を批判する言葉が行き来し始めた。

夫の三浦清志氏が代表を務める会社が投資トラブルで家宅捜索を受けたことが報じられ、そのつまづきで『三浦瑠麗批判OK』の免罪符が与えられたかのようにみえてしまう。



それだけ三浦瑠麗の発言から、なんかモヤモヤした気持ちが残るものを多くの人が感じていたということなのだろうけど、それだったら今までのマスコミでのチヤホヤした扱いは何だったのかという疑問も感じる。

● 学者としては墓場に行く
そんな中で、元東京都知事で国際政治学者の舛添要一(ますぞえ よういち)も色々と発言している。三浦瑠麗も、国際政治学者を名乗っていることが彼の反感をより強くしているのかもしれない。



舛添要一は、2月4日、ツイッターを更新。

「テレビ出演のほうが論文執筆よりは金は稼げるし、喋りぱっなしで済む。楽だが、この麻薬に取り憑かれると学者は駄目になる。その典型が三浦瑠麗である。東大、女性というだけで視聴率至上・使い捨て主義のTV局は飛びつく。番組出演と同頻度で論文を書くくらいに勉強しないと、学者としては墓場に行く。」と述べた。

テレビ出演を相次いで取りやめになった国際政治学者の三浦瑠麗(42)を再び批判した。

1月25日には三浦の夫が手掛けていたといわれる太陽光発電事業について、

「太陽光パネルは廃棄処分にお金がかかるし、中国からの輸入品である。三浦瑠麗や設置義務化を進める小池都知事は、それを理解しているのか?三浦は、あまりにも不勉強で、テレビ文化人の欠陥を晒している。

私もテレビ文化人の端くれだが、人一倍勉強してから発言している。あまりに不勉強で、テレビ文化人の欠陥を晒している」などと厳しい言葉を投げかけてきた。

1月23日には、「思いつきで奇をてらって発言しても、すぐにメッキがはげてしまう。彼女がその典型例だ」とも批判していた。

その発言に対しては、幾つかの疑問点がコメントで寄せられている。


「うわー、厳しいなあ。学者を転じて都知事になった舛添氏も、別の理由でダメになってしまった。
都民から、国民から、一気に信用を失ってしまった。」

「舛添さんは朝まで生テレビに近年では2022年に1回、2021年に2回出演し、いずれの回も三浦瑠麗さんと同席していたが、とくに三浦さんの意見に突っ込むこともなく大人しく座っていた印象しかない。
ずっと以前から舛添さんは三浦さんの学者としての力量に疑問を抱いていたそうですが、それならば朝まで生テレビで同席したときに三浦さんと激しく論戦して欲しかった。」

「そう云う舛添要一さんも散々TVタックルとかでは色んな人と論破バトルしてたな。
ある意味で本業より楽しくなる事もあるよね」

「三浦氏についてというよりは、舛添氏ご自身の話をしてるのかと思った。
毎週のようにTVにご出演されていた時期もありますし、政治家としての過去の行動や、ご自身を棚に上げてさも正義を語るような発言を今も多々お見受けする中で、この方も個人的には信用できない人だなと感じてしまっているもので。」

● いくつものナイフを彼女の目の前に
舛添要一は、色々と過去に問題のある行動が取り上げられた人だ。それを一つ一つ取り上げてはきりがないけど、ぼくが忘れられない週刊新潮に掲載された記事を取り上げたことがあって、それを再度、取り上げたい。

そして、もう一度彼の人間性を考えたうえで、彼の言葉の重さを考えてみたい。

2010年「週刊新潮のゴールデンウィーク特大号」の『片山さつきインタビュー 総理期待度No.1「舛添要一」という男の正体』という記事が印象深かった。まずは、「片山さつき」と「舛添要一:ますぞえ よういち」が、かつては夫婦であったという事に驚いた。



舛添要一は女性関係がはでなようだ。2度の離婚歴があるとの事。最初の妻はフランス人、2度目の妻は官僚時代の片山さつき。しかし、フランス人女性の前にパリで知り合った日本人女性と結婚していたと週刊誌に報じられた。

「結婚は3回ではなく、フランス人と結婚する前に、ヨーロッパで日本人の女性と結婚式をあげるというので(舛添は)案内を出していた、他の妹たちにも手紙がいっている」という長姉の証言が出たことがある。舛添自身は「入籍していない」と否定した。(『週刊文春 2007年9月13日号』「舛添要一 消せない過去」『フラッシュ 2007年9月18日号』「舛添要一 種馬人生を大発掘 妻3人、愛人2人、認知子3人」)

1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけている。しかし、二人の女性に出産(婚外子が計3人)させたものの入籍はせず、婚約不履行で訴訟を起こされてもいる。このような女性関係のはでさを知った上で、「首相にふさわしい人」の名前に舛添要一を挙げているのか?

片山さつきと言えば、東大卒でミス東大に選ばれたという記事を読んだことがある。確かに、若い頃の片山さつきは今のふてぶてしさが感じられず、スマートで可愛らしい。

東京大学在学中、集英社の雑誌『non-no』のキャンパス特集企画で「ミス東大」として取り上げられたことから、「ミス東大に選ばれた」と言われる事がある。しかし、東大のミスコンテストで選ばれた等の具体的な実績はない。

片山さつきは東大法学部卒業後、大蔵省に入省。大蔵官僚時代の1986年、東大助教授だった11歳年上の舛添氏と27歳のときに結婚。後に離婚している。両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。

片山さつきの告白によると、結婚しても仕事を続けたかった彼女は、舛添とのお見合いの席で、帰りが遅くなることもあると伝えた。「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」と、言ってくれた。

しかし、彼は2ヶ月で「約束」を反故にした。「遅く帰ってきやがって!」いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、彼女の言うことは一切聞かない。手当たり次第に投げつける。炊飯器の上蓋が割れていたこともあるという。

またあるときは、サバイバルナイフなどいくつものナイフを彼女の目の前にズラーッと並べた。舛添要一は、ナイフの収集が趣味だった。そのうちの一つを彼女に向けたことまであった。

結局、片山さつきは結婚から3ヶ月ほどで、弁護士に離婚を相談した。すると、弁護士の調査で舛添要一には愛人がいて、その彼女が妊娠中であることも分かった。「愛人ができたから、早く私を追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です」と、片山さつきは語る。

正式に離婚が成立したのは、結婚の2年3ヶ月後だった。実際はのべ半年も同居していなかったという。

片山さつきによると、舛添要一は、『公私ともに人は利用するだけのもの』と思っている。例として、このようなことを挙げている。

「最初は小泉さん(純一郎・元総理)を評価していた。ところが、小泉人気が一時カゲりを見せた02年頃に一転して批判するようになる。安倍さん(晋三・同)の時も、参院選(07年)中から支持率が落ちると徹底的に非難した。つまり、弱き状況にある人に強く出た。かと思えば、その安倍さんに厚労相を打診されると喜んで引き受けたりもしている」

他には、彼女は舛添要一には『この政策を実現したい、是が非でも成し遂げたいといったものがあるんでしょうか』という政治家としての根本的な姿勢に疑問を掲げていた。

参照:三浦瑠麗さんを改めて批判の舛添要一さん「論文執筆よりテレビ出演が稼げる…
   舛添要一さん、三浦瑠麗さんを再び批判「あまりに不勉強で、テレビ文化人の欠陥を晒している」