ライブ配信での発言が問題視されて、所属していたプロeスポーツチームの契約を解除された美女ゲーマー「たぬかな」が、復活したことがニュースになっていた。



● ちっちゃい男に人権あるわけない
復活といっても所属先から契約解除が撤回されたのではなくて、1年ぶりにSNSを更新するということ。ツイッターで「1/20(金)の21:00から配信します」と配信リンクと合わせて告知した。

その問題の発言。

昨年2月15日、ライブ配信中に、自宅でUber Eatsを利用した際に男性配達員から連絡先を聞かれ恐怖心を抱いたというエピソードを紹介している。その中で、男性の身長について・・・・・・

「170ないと、正直、人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら、生きていって下さい」
「170あったら、人権がちゃんと生まれてくるんで」
「ほんまちっちゃい男に人権あるわけないだろお前、調子のんな」
などと、人権を否定する発言を繰り返し炎上した。

身長で人権うんぬんを語ってしまう、その思考力の無さと軽さは相当なものだけど、なんせ変わった事を言ったほうが注目を浴びてしまうのだから、どんどんエスカレートしてしまうのはしょうがないのか。

「たぬかな」は見た目もいいほうなので、そうゆうビジュアルの女性が差別的な事を男性に対して発言することで、インパクトは強くなる。

でも、この件については怒りも不安も感じなかった。契約先をクビになった時点で彼女は相当、ダメージを受けたはずだし、世のバッシングもすごかった。

それに自分の身長が170以下だったらもっと腹をたてていたかもしれないが、ぼくは身長173センチ。そこはぎりぎりクリアしていたから『その発言は、ぼくには他人事』といういいかげんな感想に落ち着いていた。だから自分も偉そうなことは言えない。

● 汗かきの小男。ホテルでもかぎまわる口
そこで思い出したのは正月、実家に帰るときに読んだ本のこと。本タイトルは『刑罰』で著者はフェルディナント・フォン・シーラッハ、12個の短編が掲載されている。

そのなかの「小男」という短編。

シークレットシューズをはいていて、43歳の未婚の小男のお話。その男は小男の伝記をコレクションしている。ナポレオン、ムッソリーニ、サルトル、アインシュタイン。小説の内容自体は特にひねりも無くて事件が起こるものの、面白いと勧められる短編ではない。


主人公は、有名人の身長も暗記していた。トム・クルーズ170センチ、ダスティン・ホフマン167センチ、プリンス157センチ、ハンフリー・ボガード173センチ。その短編に書かれていた「小男」の定義が目を覚まされた。



ハンフリー・ボガード主演のサスペンス映画『三つ数えろ」に、ボガードの身長をめぐるシーンが出てくるとして、小説では紹介している。大富豪の娘として我儘に育った姉のヴィヴィアンと妹のカルメンを、マーサー・ヴィッカーズ、ローレン・バコールが演じた。

マーサー・ヴィッカーズ「ちょっと背が低いのね」
ハンフリー・ボガード「努力はしたんだがね」

しばらくしてボガードは、はじめてローレン・バコールに会う。

バコール「あなたが私立探偵さん?探偵小説にしかないと思っていた。汗かきの小男。ホテルでもかぎまわる口ね。あまり見栄えがしない」
ボガード「すこし背が低いのでね。この次は竹馬に乗って、白いネクタイをしめ、テニスラケットでも小脇に抱えてこよう」

三つ数えろは、1946年の作品。ハンフリー・ボガードの173センチが小男と言われたのは77年も前からということになる。

最近は男女共にみんな背が高くなっているとは思っていたが、自分が『小男』という分類になるとは想像していなかった。

短編の小男である主人公はいったい身長・何センチの設定なのかわからないが、その背の低さゆえに女性に見向きもされないというような書き方なのだ。

で、そこで思ったのは、自分の肉体的な事が負の分類に入れられると、けっこう不快な思いをするという事を間接的にその短編に教えられてしまった。

ということで、身長に限らず肉体的な事を発言する人は、マイナスイメージで強調されるとどんな気持ちになるかということを、少しはイメージする必要があるだろう。

それより他人の、気ままな思い付きでできあがる定義に、動揺しない精神を保っていることが、心の健康に一番重要なことなんだろうけど。

参照:170cm未満男性に「人権ない」で炎上 美女ゲーマー・たぬかな、約1年ぶり〝復活〟へ