1962年 「秋津温泉」 日本
昨日、パソコンが急にネットに繋がらなくなり、とてもあわてた。モデムのスイッチのオン、オフと再起動で、ようやくネットが回復。
そうしたら、今日はテレビに動画配信のdtvが繋がらなくなり、これまた大慌てでバタバタ回復に努める。
テレビに出てくるキーコードを何回もパソコンに入力しても、dtvにログインできずに、あきらめかけていた。ふと、スマホでdtvのソフトをインストールして、そこから入力したら、どうかと思い、試してみたらどうにか無事につながって、ホッと一息。
それで、見たのは吉田喜重(よしだ・よししげ)監督の「秋津温泉」(1962)。最近、急に寒くなってきてタイトルに”温泉”とつくくらいだから、「見ていたらあったかい気分になるかもしれない」という、実に軽い気持ちで見る。
でも、そんなお気楽な気分で見る映画ではないことがすぐにわかる。長門裕之(ながと・ひろゆき)演じる東京の学生は、体は結核に冒され、人生に絶望し死ぬつもりで岡山にやってきた。そこを、岡田茉莉子(おかだ・まりこ)演じる温泉場“秋津荘”の娘に助けられる。その助けた娘が、死ぬつもりだった男の優柔不断さに、やがて自分の人生を狂わせられてしまう物語だ。
映画の画面が絵画的で美しく、構図が新鮮だ。1962年(昭和37年)キネマ旬報ベストテン第10位、第17回毎日映画コンクール女優主演賞(岡田茉莉子)を受賞している。
死にきれなかった男を演じた長門裕之は、本当に桑田圭祐に似ていてまるで、俳優・桑田佳祐の映画をみているかのよう。相手役の、岡田茉莉子(おかだ・まりこ)の元気いっぱいの姿も健康的な美しさがにあふれていて、それでいて苦悩に打ちひしがれる姿もまた綺麗だ。
岡田茉莉子は、映画出演の記念となる100作目を29歳の若さで当作品を自らプロデュースしている。原作は早い時期から藤原審爾の『秋津温泉』と決め、監督には当時、若手監督だった吉田喜重を起用したという。
岡田はこの映画の後で引退しようと考えたが、監督の吉田に「あなたは青春を映画に全て捧げて、もったいないかと思いませんか」と言われて引き留められた。
吉田監督は岡田茉莉子と「秋津温泉」制作の2年後の1964年に結婚している。
吉田監督の訃報を聞いたのは昨日。偶然、「秋津温泉」という映画を見た日だったので驚いた。監督は8日に89歳で肺炎でなくなった。
岡田茉莉子は「本当に天才肌のような人でしたね。私は素晴らしい人を見つけたと、誇りを持っています」と夫への長く変わらぬ敬愛の思いを明かし、「そんな誇りを私は失ってしまいましたので、これからどうなってしまうのか、どうしようかと思って…」と絶句。電話口で号泣したという。

参照:俺みたいないいかげんな男と出会って損したわけだね。
映画監督・吉田喜重さん急逝 国内外で評価 妻・岡田茉莉子は号泣「あまりに突然」

