
「ビフォア・ザ・レイン」1996年 イギリス・フランス・マケドニア合作 原題:Before the Rain
ミルチョ・マンチェフスキー監督の「ビフォア・ザ・レイン」という映画は、DVDの表紙をみたら、やたらと賞を取っているのがわかった。
主なところで、94年ヴェネチア映画祭において金獅子賞を始めとして5つの賞を受けている。96年度キネマ旬報外国映画ベストテン弟9位。また同年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされてる。
でも、『賞の多さにつられて見てもろくな事にならない』という教訓をこの映画からまた得ることができた。ぼくもいいかげん、このパターンに懲りて目が覚めてもいいころだ。わが身のバカさかげんが身に染みた。
見始めて、そんなに物語に惹きこまれるわけでもないのに、せっかく借りたのだからと全部見てしまう作品がある。この映画がまさにそれに該当していた。
グロい羊の出産シーンが突如でてくる。この映像をどうしても入れる必要があったのか?
血にまみれた子羊が2匹生まれてくる。他の画面に移すこともなくそのまま捕らえている。動物の出産という映像を見慣れていないので、『生命の誕生に感動』などという想いにはとうてい及ばず、ひたすら『はやくその血に満ちた画面終わってよ・・・・』と、願った。
この映画は三つの章に分かれている。
その二章めの話は女性・雑誌編集者アンの話。この話がまた・・・・。
アンには夫がいたが、心ひかれる男性がいて、その男の子供を身ごもっていた。その男はひげもじゃのむさくるしい写真家で、ふらりと帰ってきて、彼女にあうとタクシーの中で大胆にも胸をもんだりなめたりしながら彼女に抱きつく。
タクシー運転手は、気の毒としかいいようがない。そんな美しくもない中年男女の濡れ場を運転中にみせられて、気がそれて事故でもおこしたらえらい損害になってしまう。
写真家は、カメラマンとして偉大な賞を受賞していて、アンに「一緒に故郷のマケドニアに行こう」と誘っている。
場面は変わって、あるレストランでのこと。
アンはだんなと別れ話をしようとレストランへ到着する。食事をしながら、子どもができたことを伝える。「誰の子ども?」と聞かれて「あなたのよ」と、ちゃっかり返している。そこに突然、テロリストが店に銃を乱射して、だんなの顔に当たってだんなは死亡してしまう。「顔が・・・・あなたの顔が・・・・」と、唖然として第二章が終わる。
でも他の男と会ってタクシーで抱き合ってしまう女性のキャラから、夫がテロリストの流れ弾で亡くなったとしても、彼女に特別な同情心もわかず、ただただ、『なんだか無常な理不尽な悲劇を見せられたな。』で、感想は終わってしまった。
そして、第三章を見て雑誌編集者アンといちゃついていた写真家は、マケドニアではまた彼女とは別の昔から気になる女性がいて、その女性にかなり惹かれていることがわかる。別に複数の女性に気持ちがあってもリアルでいいんだけど、この展開もまたキャラに心が入りにくい設定だ。
さらに、バラバラに見えたエピソードがつながることがわかるのだが、それがこの映画にとって必須の構成であったのかどうかと、考えると疑問。この創り方は気分が3回、人為的にコントロールされているようでぼくは不満だった。いっそのこと、全部つながらないお話のほうがまだいい。
当作品のような文芸的で批評家受けのいい映画を見た後では、脳のリハビリを兼ねて脳天気なすっきりする映画をみたくなる。
評論家の岡田 斗司夫(おかだ としお)が、「トップガンマーヴェリック観て来たんですけど、中身、何にもないです。なのに感動するんですね。95点です。めちゃくちゃ点、高いです。でも”内容”は”無いよう”です。」最後がシャレなのかどうなのか微妙なとこだけど、いつものごとく笑いながらYouTubeで楽しそうに言っていた。
そうだ、『このすっきりしない気分はトム・クルーズのジェット戦闘機の映像でも観て直してもらおう』と、気持ちを新たに固めるのでありました。