「プロミシング・ヤング・ウーマン」2020年 原題:Promising Young Woman
 

たわいもない話しを、酒場で男の仲間の3人が酒を飲みつつ話していて、ふと視線を別の方向にむけると、泥酔して半分眠っているかのような女性、キャシーを見つける。「おい、あれを見ろよ!」と、話の方向を酔った女性に向けさせる。

女性は一人座ったままで、スカートをはいたまま足が力なく開いたような意識もうろうの状態。男は「自業自得だ」「まるで誘っているみたいだ」これは、ラッキーとばかりにキャシーに声をかけ、部屋に酔った彼女を運びこみ、さっそくベッドに押し倒し事に及ぶことを始めていると女性が「何をしているの」と聞き、さらに「何をしているの」「何やってんの?って聞いたんだよ」大声で咎めるかのように叫ぶ。

男は、意外な展開に顔をあげて女性を見て問う。「酔っていないのか?」男が事態を測りかねて聞き返し、女性の意図を必死に探ろうと焦る。

そこの映画の出だしが絶妙だった、女性監督のエメラルド・フェネルの「プロミシング・ヤング・ウーマン」は、アカデミー賞で脚本賞を受賞している。タイトルの意味は、「有望な若き女性」とのこと。

もともとアメリカでは、「プロミシング・ヤング・マン(有望な若者、有望な若き男性)」のほうが一般的に聞く言葉だった。このフレーズは、実際に起こった性暴力事件の加害者や被疑者となったエリート男子学生を守る言葉としても使われてきたという。

この女性・キャシーの復讐劇をどこかスカっとした気持ちで観ていられるのは、酔った女性の抵抗のなさを利用しようとする男やレイプを見過ごしたり参加した男が、痛い目に合うのが痛快なのか、それとも、そもそも男の性欲を男自身が嫌悪している感情があり、女性に完全ノックアウトされることで自虐にも似た一種の爽快さを味わってしまうのか。

キャシーは元は医大で医学を勉強し、前途ある若い女性”であった。その女性が、カフェで働いていて「君はなぜここで働いているの?」と、同じ大学に通い、現在は小児科医となった男に聞かれてキャシーは答える。
「医大まで行ったのに中退してこんなところで働いているのはおかしいのか」。
 

男は「失言だった、コーヒーに唾吐いてもいいよ」と、答えると本当に彼女は、彼のコーヒーカップの中につばを吐き彼に渡す。そうゆう場面一つ一つがちょっとひねって意外性があって、面白い。