「太陽の下で 真実の北朝鮮」2015年 チェコ/露/ドイツ/ラトビア/北朝

北朝鮮のミサイル発射は今年1月で7回にわたった。

「目的は挑発ではなく軍事力強化だ。ミサイルの開発を中止すれば体制が崩壊するので、北朝鮮は発射実験をやめられなくなっている」と、ジャーナリストの宮田敦司は説明する。

北朝鮮は長距離ミサイルと核兵器の実験という軍事力強化の為に、一般市民が多大なる犠牲をはらっている国であり、実体や実像を隠したい国というイメージがぼくにはある。

今回見たビタリー・マンスキー監督の「太陽の下で 真実の北朝鮮」というドキュメント映画は、北朝鮮側の”監視員”や”演出家”の目を盗んで、カメラを廻し続けることで、当局が見せようとした映像意外の事実をカメラに収めることに成功している。

また、北朝鮮の実際の街並みやイベント、乗り物や建築物が出てきて、それを眺めているだけでぼくには新鮮だった。

バックに流れているバイオリンがメインの曲もどこか物哀し気で効果をあげている。

映画は一人の可愛らしい8才の女の子ジンミの日常を追っている。日本でいえば小学校2年生になる。

ジンミは模範労働者の両親とともに平壌<ピョンヤン>で暮らしている。彼女はエリートのみが入団を許される「朝鮮少年団」に入団し、ダンスの練習に余念がない。

作品は、ジンミを中心に庶民の日常を映すドキュメント作品のはずだった。しかし、カメラに収められたのは、北朝鮮が徹底的に演出している姿で、すべてのシーンでシナリオが用意されていることが判明する。その姿勢に疑問を感じたスタッフは、撮影の目的を”真実を暴く”事に切り替えて、隠し撮りを続ける。

話は変わるけど、ジンミの娘の通う学校で、先生が生徒に教えているシーンが忘れられない。これも台本通りなのかもしれないが、このような教育を実際におこなっている可能性も高い。

30歳前後の女教師は8歳の生徒にこのような教科書に載っているエピソードを読み聞かせている。

「前回の授業では敬愛する金日生(キムイルソン)大元帥様が”朝鮮独立万歳”と叫びながら日本人を倒しましたね。我が国を取り戻そうと決意なさった話でした。」
「教科書を開いて。 金日生大元帥様は子供の頃、日本人と地主を恨んでおられました・・・・・・」


それを聞かせたうえで、生徒の頭の中にその話が残ったかどうかを確認のうえ、問いただす。

「金日生大元帥様は仲間に教えてあげますよね。どんなことでしたか?」

生徒は答える
「敬愛する金日生大元帥様は”地主は朝鮮の服を着て朝鮮語を話していても、国を売った日本の手下だ”とおっしゃいました。」
というようなやりとりが何度か続く。

幼いころから教科書に載っているイメージで日本人の存在を植え付けられていることが実体だとしたら、とても恐い。北朝鮮の人にとって日本人がどれだけ憎むべき敵で、ずるがしこく狡猾な悪人との印象が強くなっていくことか。

映画の内容が終盤に向かうと、主人公のジンミの印象が変わってくる。ジンミは可愛らしく、愛嬌があり賢く、北朝鮮の影の男の指示にも嫌な顔をみせずに答えていくので、理想的な配役に見える。

しかし、踊りを教えられる場面ではジンミは涙ぐんでしまう。踊りの先生は、
「ジンミ、少し休んでいいわよ。まだ慣れてないようね。慣れるには時間がかかるんです。だからつらいのかもしれません」
「もっと難しいステップもあるのよ。もしこうなったらできる?」
と、言いながらジンミに見本をみせるように踊っている。またジンミに促す。「どうする気よ。やってみる?」

最後には女性インタビュー者の質問に答えるジンミの映像。

「少年団に入団したけど、これからは何を期待する?」
「少年団員は組織活動をします。そうすれば過ちにも気づくことができ、大元帥様のために何をすべきか分かります」
と言った後に、ジンミは涙ぐみ後の言葉につかえてしまう。

<落ち着かせろ常に冷静でいないと。泣かせるな>という北朝鮮側の演出の指導が入る。

女性はインタビュー者は「好きな事を考えてみて」とジンミを落ち着かせようとする。
「何?」
「好きなことよ」
「よく分かりません」
ジンミは答えた後に、最後にまた決まり文句のような大元帥様への暗記させられたであろう決意をすらすら発して場面は終わる。

『映像が真実を描くとはどうゆうことなのか。ノンフィクション番組といえども全て作りての思想と内容のチェックがどこかで入るので、公平ではない記録になってしまうのではないか。この北朝鮮の本当の姿を暴いたとされる当映画も実は、脚色され意識操作されていたら・・・・』

と、色々自分に問いただしてくる映画だった。