料金支払いはつづく
生活はつづく
連載はつづく
子育てはつづく
貧乏ゆすりはつづく
箸選びはつづく
部屋探しはつづく
ビシャビシャはつづく
ばかはつづく
はらいたはつづく

このへんで、やめときますが、最後は

ひとりはつづく

で、終わっているこのフレーズ達は心くすぐるものがある。

この『・・・・・・つづく』シリーズは何かというと、『そして生活はつづく』という星野源の本で、その本の目次になっているタイトルを並べてみました。

『そして生活はつづく』は、星野源の初めてのエッセイ集で、はじめは単行本として、後に文庫本として出版されている。

星野源という人物が何者かも知らなかったときに買った本で、何に惹かれたかというと、『そして生活はつづく』という本のタイトル。ぼやいても、嘆いても、喜んでも、悲しんでもとにかく時間は流れて確かに生きているかぎり、生活は続く・・・・・・。

その無常のような、虚無のような、悲劇のような、明るい希望の太陽のような、色々なイメージを膨らませてくれる言葉で「なんでうまいタイトルをつけたものだ」と、感心した。

さらには目次に目を通し、こちらも語尾が『つづく』で統一されていることに感心した。それはまるで言葉遊びのナンセンスな詩を読んだときのような、不思議な感覚を思い出していた。

●“逃げ恥婚”祝福の声
ところで、5月19日に電撃結婚を発表したということで、星野源と新垣結衣のニュースが大変な騒ぎだ。コロナ禍で暗いニュースが多いなか、その明るい話題がより注目されてしまっているのだろう。



直近のサイトニュースでは、『星野源&ガッキー“逃げ恥婚”祝福の声が止まない2つの理由』なんてゆうもの思わせなタイトル記事が出て、つい読んでしまった。二人は、2016年にTBSドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で初共演した。

どうしてこれだけ祝福されたのか。

ドラマ関係者は
「逃げ恥を見た視聴者の多くが、2人の恋愛を応援していたからではないでしょうか」と語ったとのこと。

これが祝福の声が止まない一つ目か?

芸能事務所の関係者は「それぞれのファンは恋人の存在を知ることなく応援できた。星野さんが40歳、新垣さんが32歳だから、ファンが結婚に反対するような年齢ではない。その上で、夫婦生活が想像できるお似合いのカップルだったので心から祝福できたのでしょう」と話した。

それでこれが祝福の声が止まない二つ目かな?

ナルホド・・・・・
と、思いつつぼくには一つの心配がある。

● 全裸にならなければならなくなった
彼の著作『そして生活はつづく』の話に戻るけれども、この本の中にはとても面白いシモネタ的なお話が数か所ある。

たとえば、「箸選びはつづく」というタイトルのエッセー。

吉野家の牛丼をテイクアウトで食べたときに、ずっと使っていたお箸が折れた。たまにはちゃんとした箸を持つのもいいだろうということで、池袋のロフトに買いに行くところから話は始まる。

それがなぜか途中で、ある映画の現場でベットシーンの撮影があり、全裸にならなければならなくなった話にスリ替わる。

いわゆる前張り(ちんちんやまんまんを相手やスタッフに見えないように隠す布のこと)をして演技しなければならず、とても星野は焦った。不安になったので、先輩俳優のSさんに相談。

「前張りは粘着力の強いテープで張ることが多いから、剥がすときに大量の毛を持っていかれるのね。それがもう地獄のように痛いわけ。
だから毛は全部剃ってから撮影に臨んだほうがいいよ」

というわけで、あそこの毛を剃った。テープはお尻の穴までくるぞとの助言ももらったので、そこの毛までも完璧に剃った。「これは仕事だ」と念仏のように呟きながら剃ったという。なんだかんだでベッドシーンの撮影は無事に終了し、翌日何事もなかったように普通の生活に戻ったが、そこで星野は撮影中には気にならなかったあることに気づいた。

もう、とにかく股間が気持ち悪い。あるべき所に毛がないというだけでこんなにも居心地がわるいものなのか。ガニ股ともバレリーナとも照れないような不思議な歩き方に自然となってしまった。

● 彼が居なくなって初めて、その大切さに
そこで、星野はあそこの毛の大切さを、剃った体験者だからこそ語れる貴重な意見でまとめている。

『それまでは陰毛があったためにまったく気づかなかったのだが、股間はずいぶんと汗をかくのだ。そして毛がないことによって、歩いたり姿勢を変えたりするたびに肌どうしがペタペタとくっつき、徐々に蒸れ始め、しまいには擦れ合ってかぶれてしまうのである。

お風呂などで拝見するたびに「うっとおしいなあ」と思っていた陰毛だが、日々の動作を助けるという重要な役割を彼は担っていたのだ。私は彼が居なくなって初めて、その大切さに気づいたのである。』

このような下ネタ・ティストの話がすきなぼくとしては、彼の結婚に一抹の不安。

新垣結衣などという美人で可愛らしい子と結婚して、幸せいっぱいのマイホームパパとなってしまい、文章の内容が変わってしまわないかと心配なのだ。下ネタ文章なんぞ、あほらしくて書く気が失せてしまうのではないか。

たとえば、彼はもう「ひとりはつづく」なんてゆうタイトルでしみじみと共感を得る話しなどは書きづらくなるのではなかろうか。

なんて世の”おめでとうムード”とは一人離れて、単にまだまだ星野源の飾らない面白いエッセーを読み続けたいとゆう、その1点で、余計な心配をしているわけでした。

参照:星野源&ガッキー“逃げ恥婚”祝福の声が止まない2つの理由