
「旅のおわり世界のはじまり」 2019年 日本・ウズベキスタン・カタール合作
ネットニュースを読んで興味を持った、黒沢清監督の「旅のおわり世界のはじまり」を金曜日のナイトシアターで観た。
黒沢清監督の作品では、以前に「クリーピー 偽りの隣人」を観て、悪役とか脇役・主役を問わずに言動が変で、なぜか心の奥底に残るキャラクターの描き方の新しさに面白さを覚えていた。
「旅のおわり世界のはじまり」の舞台は、なじみの薄いウズべキスタンという国。ウズべキスタンは、中国に近くアフガニスタンの上に位置する。前田敦子演じる歌手志望の”葉子”という女性リポーターと男子スタッフによるテレビ番組のウズべキスタン・ロケの顛末を描く。
葉子は、カメラに映る直前まで、不機嫌そうな表情とガサツな動作で、同行するスタッフとも一定の距離を保っている。なのにカメラがむけられたとたん、陽気で親しみやすい明るいキャラに変身して現地をリポートする。それは、そのまま映画製作に携わっているときの前田敦子自身の姿に重なってしまった。
広い劇場に、ぼくを含めて客は5人だけだった。空いた客席で観る映画が大好きなぼくだけど、さすがにここまで空いていると、ふと『映画の選択に失敗したかな?』と不安が脳裏をかすめた。結果、映画を観ている途中で軽いめまいさえ覚えてしまった。露骨に、『前田敦子大好き!』アピールが、画面から溢れ出ていた。
黒沢監督はこのように映画をアピールしていた。
「普通のエンタテインメント作品と違って、正直、売りはウズベキスタンの美しい風景と俳優の魅力だけです(笑)。ぜひ堪能していただき、皆さんの心の中に、細く長くずっと残ってくれれば嬉しいです」と。
しかし、ぼくの心に残ったのは、美しい風景ではなくて徹底して女優・前田敦子に寄り添った映画のストレートな手法だった。他の役者はただのかざりにしか見えなかった。
前田の主役の起用に関して、このように監督は答えている。
「前田さんは、役柄を一瞬で直感的につかんでその役のセリフなり、仕草なりを全く自然に表現できるのです。これは彼女の生まれ持った才能でしょう。つまり天才ですね。一方、若いころからの訓練の成果なのか、仕事の現場では何ひとつ物怖じせず、躊躇もしません。そしてカメラに映ると、他の何物にも似ていない強烈な個性を発揮します。いやはや日本にも、もの凄い女優が出現しました」
前田敦子一人にスポットライトを浴びさせて、作品としては完全に中途半端で崩壊していた。しかし別の面でみるとぼくはこれはこれで、なかなかうらやましい事だと思った。好きな女優のために映画という媒体を使い全世界に向けて愛を告白しているのだから。
さらに、歌が下手とは言えないが、うまいとも思えない前田敦子の歌う「愛の讃歌」を、一度ならず二度までも聞かせてくれる。クライマックスでは、雄大な山頂の景色をバックに彼女のアカペラで聞くことになる。ここはさすがに冷静に判断し、カットしてほしかった。
つまり監督は、普段の女を意識していないがさつな前田敦子も、変身してみんなに愛されキャラを演じる前田敦子も、そして歌が下手ではないけどアイドルだった平均的な歌手の前田敦子も、大好きだということがわかる。
前田敦子への愛はもう嫌になるほどわかった。この映画を撮影していた2018年5月とは違い、彼女にはだんなもいて子供もいる。だから、次回作はぜひ本来の『クリーピー 偽りの隣人』のような奇妙な人物の傑作の世界に戻って、映画を撮ってほしいとぼくは願っている。