「ファースト・マン」2018年 アメリカ
デイミアン・チャゼル監督の最新作『ファースト・マン』は、心にずしりとくる映画だ。
アポロ11号で世界初の月面着陸に成功した宇宙飛行士ニール・アームストロングの生涯を描いたこの作品、「ロケットで月に行く」というと、イメージ的には夢と冒険にあふれて、素敵な宇宙旅行ととらえがちだ。
ところが、1960年代のアメリカで「ソ連に追いつき追い越せ」で、競り合っていた初期のころは、宇宙船とは宇宙に放たれた振動の激しい棺桶のように思えた。地球を発射後のロケットの内部は、計器の針の示す数値さえ読み取るのがむずかしくなるくらいに、揺れに揺れる。乗り物に酔いやすい人や、気圧の変化に弱いぼくのような人などは論外の世界である。
とくに悲惨だったのがロケット内部で火災が発生してしまった事件。ロケットに乗り込んで、発射する前に内部で火災が発見されたが、狭いロケットの中なので身動きが取れず結果、火災で全員、内部の爆発により死亡してしまうシーンがでてくる。これなどは、自分の火葬場としてロケットを選んだかのような結果に至っている。
そのような、いっしょに宇宙に旅立つことを目標に学んでいた友が、ある日、突然事故で亡くなってしまい、それでも同じ仕事を使命として引き受けて継続するのは、どのような心境だったのか。
『ダークナイト』3部作や『ダンケルク』(2017)などで知られる映画監督クリストファー・ノーランが、『ファースト・マン』の解釈をこう述べている。
「(監督の判断は)偉大なる出来事についての共通見解から、意図的に距離をとるものである。人類史上
最も遠い場所への到達は、(ニール・アームストロングという)個人が達成したことにすぎなかったのではないかという、(監督個人の)純粋な解釈を形にするためのものだ。月面に立っているとき、ニール・アームストロングが何を考えていたのかは誰にもわからない。しかしチャゼルはその課題に取り組み、そして家族に寄り添った彼の解釈は、もっともらしく、また共感できるものとなった。」
「世界の歴史において最も外側に開かれた出来事を、彼はあえて内省的に映画化している」と記している。そして本作の功績は、それゆえに今はまだ正しく理解されていないのではないかと。
まさしく、ぼくのなかでもこの映画のめざしていた意味を読み取る事にはもう少し時間がかかりそうだ。
PR:ファースト・マン 上: 初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの人生 (河出文庫)
参照:クリストファー・ノーラン、『ファースト・マン』を大絶賛 ─ 「この映画の意義深さは、しばらく正当に評価されないのかもしれない」
