
10月2日(水)、サウジアラビア出身で、ジャーナリストとして活躍しているジャマル・カショギ氏(59)は、トルコにあるサウジ総領事館を訪問後、行方不明になっている。そこで体を『生きたまま切断されて殺害された』ということが、大きなニュースになっている。
● 殺害に要した時間は7分
欧米メディアはムハンマド・ビン・サルマン皇太子(33)が直接、殺害を指示したとの疑いを強めている。米ABCニュースは、ポンペオ国務長官が殺害の様子を録音したという音声記録の
内容を確認したと報じた。国務省は否定しているという。
カショギ氏は尋問もなく切断され、「殺害に要した時間は7分」とトルコメディアは報じた。
実行犯が「交通事故死」を遂げたとの報道もある。
トルコ当局が特定したとする容疑者15人のうち、少なくとも9人がサウジの治安部隊や軍、省庁で働いていたことを確認した。1人はサウジアラビア軍に所属するタバイギ医師であると報じられた。タバイギ医師は、「仕事(殺害)をするときは音楽を聴きながらすると良い」と話していた。
トルコ当局や中東メディアによるとサウジアラビア総領事館に入ったカショギ氏はアサシン集団にボコボコに殴られるなどの攻撃をされたのち、机の上に乗せられ、生きたままの状態で身体を切断されていった。切断を開始してから7分後に絶命したと報じられている。
● インターネットを強引にブロック
事件は、なんとも物騒で残酷だが、記者カショギ氏が『なぜ、サウジ総領事館に入り、なぜこの処刑のような方法で殺害されなければならなかったのか?』
そこが大きなポイントだとは思うのだが意外に、そこまで書いてくれている記事が少ない。
カショギ氏は10月2日、婚約者との結婚に必要な書類を取得するために総領事館を訪れたが、その後、行方不明になっていた。
サウジアラビアの関係者は21日、ロイターに対し、総領事館で工作員らは「彼が叫ぶのを止めさせようとしたら、死んでしまった。殺すつもりはなかった」と話している。
反政府記者ジャマル・カショギ氏が、行方不明になる直前に書いたコラム記事が17日夜、ワシントン・ポストのウェブサイトに掲載された。記事の中で、カショギ氏は中東における報道の自由の必要性について議論している。
「アラブ各国の政府は、ますますメディアを思うがままに黙らせ続けている。インターネットがプリントメディアに対する検閲や統制から情報を解放するだろうと、ジャーナリストたちが信じた時代もあった。だが、存在そのものが情報統制に依存しているこれらの政府は、インターネットを強引にブロックしてきた」
そして、カショギ氏はアラブに暮らす普通の人々が自身の社会が直面する「構造的な問題」に取り組めるような、「独立した国際的なフォーラム」を作ることを呼びかけた。
「アラブ世界は、独自の"鉄のカーテン"に直面している。これは外から突き付けられたものではなく、権力を握ろうとする国内勢力によって突き付けられたものだ」と、同氏は加えた。「アラブ世界には、国際的な出来事について市民が情報を得られる、旧来の国境を越えるメディアの現代版が必要だ。そしてそれ以上に、アラブの声を提供するプラットフォームが我々には必要なのだ」
● ビン・ラディン氏にインタビュー
カショギ氏は、豊かで複雑なキャリアの持ち主だ。
若い頃には記者としてアフガニスタンへ行き、当時、CIAの支援を受けてソ連と戦っていたオサマ・ビン・ラディン氏にインタビューをしている。湾岸戦争も取材し、その海外特派員としての活躍によって、カショギ氏はサウジアラビアでジャーナリスト兼編集者として輝かしいキャリアを歩んでいた。
サウジアラビアでは、メディア業界は政府によって厳しく統制されている。つまり、カショギ氏は長年にわたって、国の指導者らと近い関係を築いていたということだ。王室のアドバイザーを務めていたこともある。
しかし2017年、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の権力が強まり、カショギ氏の友人を含む皇太子の兄弟やビジネスマンが逮捕されると、カショギ氏は自身の身の安全を恐れ始めた。
アメリカのトランプ大統領と、大統領に対するサウジアラビア政府の信頼を批判すると、王室はカショギ氏の執筆活動を禁じた。その半年後の2017年6月、カショギ氏はアメリカへ移り住んだ。
その後、アメリカでグリーンカード(永住権)を取得したカショギ氏は、アメリカのバージニア州とイスタンブール、ロンドンを拠点に活動していた。サウジアラビアを後にしてからは、ワシントン・ポストに数多くの記事を書いていた。