是枝 裕和(これえだ ひろかず)監督の「万引き家族」というタイトルが、ぼくの頭の中では、勝手に変換して「貧乏家族」になってしまい、そのタイトルを間違って言うたびに、妻に「え?万引き家族でしょ!」と、あきれられてしまった。
映画「万引き家族」は、カンヌ国際映画祭に出品され、日本映画としては97年の「うなぎ」以来21年ぶりとなる、最高賞のパルムドールを受賞したという。これがネットニュースでもテレビでも何度も流れ、繰り返しに弱いぼくは、「これは見なければなるまい」という気持にかきたてられた。
それに出演者がリリー・フランキーや、安藤サクラ、それに樹木希林と、実力派の役者が勢ぞろいしている。特に安藤サクラは「 百円の恋」という傑作映画で初めて見たときから、強烈な印象があった。とにかくうまい人だ。不器用で不愛想なキャラを演じさせたら、彼女の右に出るひとはいないのではないか。
是枝監督の作品では「空気人形」という不思議な世界観に心がはまった。人形が人間よりも性格がやさしくそれに不思議な色気もあり、映し出される都会の何気ない背景と共に人間の孤独も描いていた。しかし「万引き家族」はその「空気人形」ほどぼくの心に染みてこなかったのが残念だ。
万引きという行為をみれば犯罪なのだが、その家族は『家族という形』からはみ出た人達をも受け入れている。そしてそこでは笑いがあり、本当の家族より楽しそうである。家族の主とその奥さんは通常の職業を持っていながら、万引き行為で生活費の足しにしている。しかし、その職業も首切りにあったり、怪我をして働くことが困難になったり・・・・ということにより、家の主のおばあさんの年金と万引きを頼りにしなければ生活できないという状況だ。
その内容に関して・・・・・・・・
根本的な事の解決を後回しにして、今ある法律だけでしばってしまう現実の世界に対して疑問を投げかけていることはわかる。でも今ひとつストーリーに乗れない。
「日本人が万引きばかりしているイメージを持たれる」とか、そんなアホらしいことでこの映画をけなすつもりにはなれないが、単純にぼくは今回の映画では車の窓をこわしてそこから金品を盗んでいる側よりは、盗まれてしまった車の主に感情が入ってしまう。
全ての映画の内容に関して、犯罪者より犯罪される側に気持ちが入るわけではないし、むしろぼくは逆で犯罪者の方に肩入れをしてしまうところがある。しかし、今回の「万引き家族」での個々の事情では、万引き行為や他の犯罪が必然だったとは、どうしても思えないのだ。
