炎上する君


又吉の帯カバーのメッセージ「絶望するな。僕達には西加奈子がいる。」につら
れて、買ってしまった。この18文字の威力たるや、何人に彼女の本を買わせた
であろうか?1文字うん十万円の価値があるかも?
『又吉は、西加奈子の文学に惚れ込みすぎだろ!』と言いたいほどだ。


ところで、小説の方は短編でタイトルになっている「炎上する君」の良さがぼく
にはわからんかった。『足が燃えている男?』ってそんなに興味がわいてこず、
それより「私のお尻」が面白かった。


ページ毎に「お尻」という単語が何個も出てきて、多いときは1ページに9個も
出てくる。こんなに尻という単語が出てくる小説はあるのだろうか?「お尻」に
こだわった成人雑誌も負けるほどに連呼されている。 尻という人体パーツの漢字
を使った短編のギネスに載れそうなほど。


また、「尻」と言われるとぼくはどうしても人体のパーツとしての尻の他に排泄
する肛門もセットで尻を考えてしまうのだが、西加奈子の短編の 「私のお尻」
は、禁欲的なまでに、排泄としてではなく、観賞用のパーツとしての尻だけが出て
くる。


でも、文章はよくよく味わうと、美学だけではなくエロチシズムも存在している。


 自分のお尻の形が綺麗なことに気付いたのは、その頃だった。他のアルバイト
 の女の子のお尻を見ても、ぺた、とうつむいているものやどこかの大陸のよう
 に広がったもの、とにかく、スカートを盛り上げるようにきゅっとあがった私の
 お尻とは、ほど遠かった。


 私は宝物を慈しむようにして、自分のお尻を洗った。そして夜は、お尻が苦し
 い思いをしないで済むように、うつ伏せで眠った。お尻は私の寝息に合わせ、
 健やかに上下した。


 私はよく、自分のお尻が自分の顔だったら、と考えた。
 きっと、たくさんの男性から愛され、慈しまれただろう。


などは、なかなか想像を膨らませてくれる。
もちろん、小説と現実をいっしょにはできないものの、ここまで、「尻」「尻」
書かれると、どこかの週刊誌あたりに、西加奈子・本人のヒップに狙いをつけた
グラビアを撮影してもらいたいと、思ってしまった。


今回、ここまでの文章で『尻』という漢字を直前までカウントするとちょうどキリ

よく20個、使ったことになる。こんなに短いブログ文章の中にこんなに尻とい

う漢字を使うことはこれからはないであろう。

ところで、彼女の短編はひょっとしたら自分も書けるのではなかろうか?という
その気にさせる力を持っている。


みんなも「私のお尻」に感化され、「ぼくのお尻」「おばさんのお尻」「おじさん
のお尻」など、いろんなバージョンで短編を書いてみたら面白いかも。それを
アンソロジーとして「みんなのお尻」という短編集の本ができるかもしれない。