昨年末に、忘れられないニュースが起った。お笑いコンビ・キングオブ
コメディの高橋健一が都内の高校に忍び込んで女子生徒の制服を盗ん
だとして逮捕された。高橋は容疑を認め、「20年くらい前からやっていた。
性的欲求を満たすためだった」と供述している。家宅捜索では、学校の
制服が600点近くも押収され、常習犯であったようだと報道されている。
このニュースに抱く感想は、単純には、自分のキャリアも将来もパーに
してしまう事だから、「もったいない」「何考えてんだ!」「馬鹿か?」
というのがほとんどだろう。『何かに秀でている人は、高橋のようなフェ
チに走る人が多い』と言った人もいた。これは「英雄、、色を好む」の
変則バージョンのようなものだが、けっこう当たっているかもしれない。
ぼくの会社の同僚は、「おれは、制服よりも中身のほうがいい」と言う。
では、高橋健一が、なぜ、中身より制服の方に興味が傾いたのか?
その謎の見解に引用されているのは、森岡正博氏の著作。
著書『感じない男』(筑摩書房)では、制服やミニスカに執着する男の
セクシャリティに迫り、話題になったとの事。森岡氏は同書の中で、女子
の制服に執着する背景に関し、〈中学校・高校がその着用を義務づけて
いるという点にある。私は、制服少女の向こうに、「学校」を透かし見て
いるのだ。〉 という。つまり、この「学校」という場所にこそフェティシズ
ムを喚起する理由があるというのだ。どういうことか。
〈中学校や高校の教育は、生徒の頭の中に知識や価値観を流し込む
こと、すなわち「洗脳」にかぎりなく近くなるということである。
(中略)
中学校や高校は、柔軟性に富んだ少年少女たちを、経験を積んだ
大人たちが、よってたかって公然と「洗脳」することが許されている、
きわめて危ない場のように思えてくる〉
そして、「学校」が洗脳の場所だという妄想を膨らましていくと、その
「学校」が義務づけている「制服」を着ている少女達は次の存在になる。
〈彼女たちは、まるで、「私のことを洗脳して!」「私のことを、あな
たの好きなように洗脳してもいいのよ!」と言っているように私には見
えるのである〉 つまり制服が、支配=服従という関係を想起させると
いう説明をしている。
はて?、そこまで女性を服従させたいという独裁者のような想いとは、
制服フェチの本質と異なるように思えるのだが、どうだろうか。これは
ぜひとも高橋に、森岡正博氏の『感じない男』に対抗して 『(制服に)
感じる男』 というタイトルで自己分析の本を作ってほしいところだ。
PR :エルシーラブコスメティック新商品情報
決定版 感じない男 (ちくま文庫)
関連:餃子の王将・社長射殺から2年後の犯人像
10歳の意味不明な全裸自殺
映画「白い沈黙」のモデルとなった事件
