パンク歌手で作家の町田康は、「まちだやすし」と、つい読んでしまう
けど、「まちだこう」と、読むのが正しいようだ。


この作家の本はずうっと、本屋で見るたびに買って読んでみようと
思っていた。でも今ひとつ踏み切れないでいた。
彼の著作の「へらへらぼっちゃん」というタイトルを見て、何か面白そ
うと思って、ページをめくった。そうしたら、本の感想を述べていた
ページにたどりついた。


車谷長吉の書いた「漂流物」という本に関して書いている。
エッセーのタイトルは「人間はデクノボーになり果てる」。
これで、買うことを決めた。


車谷長吉は好きな作家で、町田康も何かひっかかるものを感じている
としたら、根っこで感性が一致する部分があるはずだと思った。


                     うお座


ところで、この本は、遊ぶということに関してまずは述べている。
その遊ぶ事に関する感覚が違う。以下、その部分を2か所抜粋。


・遊んで暮らしたいなあ。考えていると電話が鳴る。出てみれば、一応

 の面識はあるが、さほど親しくはない年少の知人。用件を話す。

 用件が済んで切りぎわ、世慣れたような調子で吐(ぬ)かす。
 「今度、遊ぼうよ」
 憤激する小生。

 遊んで暮らす、ということが大変にむつかしいといのは、このよう
 なふざけた輩が居りやがることからも知れる。


・例えば、前述の大馬鹿物にまともに取り合って、「じゃあ、遊ぼう」
 などということになれば、大変な騒ぎになるぜ。だって、そうじゃあ
 ねえか、遊びは楽しいものと思っていやがるのだもの、あはは、遊べ
 ば遊ぶほど空しくなるのが怖いものだから、あはは、遊んでいても遊び
 じゃあない、次から次へと趣向を変えて、責め苦ですよ。


                    桜


一番、このエッセー集の中で心に残ったのは、彼がテレビの時代劇好き
なところ。
ぼくは、テレビでほとんど時代劇は避けているから、ここまであたりまえ
のような感覚で見続けられるのが、面白いと思った。
こんなふうに町田康は書いている。


・いまから五年くらい前から、陽のある間はずっと、再放送のテレビ時代劇
 ばかり見て暮らしているのであって、その頃からずっと見ている番組
 を思いつくままに列挙すれば、十チャンネルでは、『三匹が斬る!』
 松方弘樹の『名奉行遠山の金さん』『暴れん坊将軍』『将軍家光忍び旅』
 『必殺仕掛人』 (以下省略、この後19個の時代劇のテレビ番組を並べ
 てます) などあり、つまり自分は、日中は時代劇を見て酒を飲む以外の
 ことはなにもしていないに等しい。
 
・「君は時代劇が好きなのか?」と訊かれれば、「好っきゃ。好っきゃさか
 いみてんねんやがな」
 と答えるに決まっているのであるが、「じゃあ、どこが好きなんだ」と
 訊かれれば、「いやぁ別に、どこが、っちゅうわけやないねんけど」と答え
 る他ないのであって、時代劇を見るのは自分にとって、ごく自然の行為と
 なり果てているのであり、殊更、その魅力を語る、といった次元の話では
 ないのである。
 中毒すらしていない、とでもいうべきか、天然自然の時代劇体質なので

 ある。


                   お月様


あと、このエッセイを読んでいておや?と、思ったこと2点。
『町田康は、いかにもぐうたらに気ままに暮らしているようで、独身だと
思っていたら奥さんがいた』
『スタートはパンク歌手なので、パンク歌手というと、イメージ的に過激
なお色気話しでも、エッセーに出てきてもおかしくはないと思うのだが、
それはいっさいない」

まあ、エッセイもそうだけど、考えれば考えるほど不思議な人である。


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