前作の「X-MEN ZERO」は、とても面白かった。
そして、痛快なアクションの大傑作「キック・アス」の監督・マシュー・ヴォーン
が新たにX-MENを撮った。
ぼくは、今回の「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」のいくつかの
映画評を読んでみた。おおむね好意的な感想をのべている。
ということで、ぼくの心は期待で胸が一杯になり、X-MENを観に行った。
でも結論からいえば、その期待ははずれてしまった。
点数をつけたら100点満点中の50点くらいか?
人物の焦点の当て方が、幾人にも分散していて、観ていて落ち着かなかった。
色々出し過ぎて、欲張りすぎたのではないかと思う。
使う超能力もあまりに凄すぎると、驚きがうすれてしまう。結局、神様みた
いなもんで、なんでもできて当たり前の世界になる。
外見にコンプレックスを抱く女性のミュータントというキャラも出てくる。
しかし、普段は普通のきれいな女性なのだから、今ひとつこちらにその
コンプレックスの痛みが響いてこない。
たとえば、キック・アスでは、何の能力も持たない普通の学生が登場する。
その学生は、ヒーローのボディスーツを着たというだけで、無謀にもけんか
慣れしたチンピラに挑む。
その哀しみと、現実に瀕死の状態に陥るリアルな恐怖をみごとに描いていた。
今回のX-MENには、「キック・アス」のときにはあった共感が、映画の
キャラに湧いてこないのだ。
ところで、オープニングのシーンはとても良かった。
1944年ポーランドのユダヤ人収容所から始まる。
戦時中、両親と引き離されて、固い鋼鉄の門でお互いの行き先を分けられて
しまう少年エリック。
必死に少年の名前を呼ぶ母親。
今後の絶望的な状況に、哀しみの顔の父親。
その時、少年は自分の超能力を使い、両親と自分の間を隔てる鋼鉄の門を、
破壊しようとする。いままさにグニャグニャに門は変形しつつあり、次の展開
を期待したその時・・・・・・、少年は兵士に銃器で頭をこづかれて気絶させられて
しまう。
次のシーンでは、少年・エリックの超能力に気付いたナチスの科学者ショウに
彼は呼ばれている。
その少年は、三つ数えるまでに超能力を使ってコインを動かすことができな
ければ、母親を殺すと、脅される。
エリックが大人になり、酒場に入って二人の先に飲んでいた待ち伏せしていた
客と、さらにはバーテンダーも加えての格闘もスピーディーでよかった。
つまり、『最後までエリックのエピソードでつなげていったほうがよかったの
では?』と思った。
でも、そのエリックが出演するシーン以外でも印象的なシーンはある。
若い超能力者同士が集まって、自己紹介に自分の超能力を見せていく場面が
面白かった。
最後は、その超能力を使いつつ、ドンチャン騒ぎのシーンに続く。
足の形が手になる男は、さかさまになって天井のどこかにぶらさがっている。
羽が生えている女性は空中にその羽で浮き上がっている。その状態でカクテル
で乾杯している。
そんな一つの部屋でのシーンが、シュールで面白かった。
『頭の中でイメージされる現実とは、あきらかに違う奇妙さ』というのは、
観ていて妙に心をくすぐるものがある。
潜水艦を超能力で海の上に引き上げてしまうようなシーンもある。
たぶん、ものすごくお金を使ってそのCGシーンを作成したと思われるが、
ぼくにはそのシーンより超能力者のドンチャン騒ぎのシーンのほうが心に響い
たものだ。