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キャンディーズの解散コンサートの場面は、いまだにテレビで想いでの
場面として放送されたりする。
とにかく人気抜群の3人娘だった。個人的には、西洋的なお人形さんを
イメージさせるミキ(藤村美樹)がぼくは好きだった。
そのキャンディーズの一員であった田中好子さんが55歳で死去した。
4月21日に乳がんでなくなったという。
田中好子さんは、伊藤蘭さん、藤村美樹さんと「キャンディーズ」で
昭和48年に歌手デビュー。スーちゃんの愛称で親しまれ、
「年下の男の子」「春一番」「微笑がえし」など多くのヒット曲を送り
出した。
田中好子さんは、1978年にキャンディーズが解散してからは、女優業に
転身。
1985年に公開された原爆の恐怖を描いた「黒い雨」では、
結婚前に放射能を含んだ黒い雨を浴びた女性を演じ、ブルーリボン賞
主演女優賞、日本アカデミー賞主演女優賞を獲得した。
テレビドラマでも「家なき子」「ちゅらさん」などの好演が光り、年齢を
感じさせない若々しいお母さん役で活躍していたという。
田中さんは阪神・淡路大震災で被災し60歳目前にしてプロゴルファーを
目指した実在の人物・古市忠夫氏の活躍を描いた2006年の映画『ありが
とう』で内助の功で夫を支える妻を演じた。
そのときのシネマトゥデイのインタビューで、彼女の夫役を演じた赤井英和
とこのように語っている。
Q:お2人はご夫婦を演じられていますが、最初に会われたときの印象と
演じられている内にその印象がどのように変わっていったのかを教えて
ください。
赤井:最初お会いしたときは「あのさよならコンサートのキャンディーズの
スーちゃんや」と思いました(笑)。
今回ご一緒させていただいて、本当に素晴らしい女優さんだというの
を実感しました。
田中:最初にお会いしたのは20年くらい前で、『どついたるねん』で赤井さん
が新人賞を受賞されて、わたしが『黒い雨』で主演女優賞をいただき、
いくつかの受賞会場でご一緒しました。あのときの赤井さんと夫婦役が
できると思って、とても楽しみでした。
関西弁ができないわたしは、赤井さんに助けていただけるんだなあと
思って安心しました(笑)。
赤井:いやいや、田中さんは撮影に入ると、休憩中や食事のときもずっと
関西弁でしゃべっていらして、役に没頭されていました。
Q:キャストがとても豪華でしたが、印象に残った方はいらっしゃいまか?
赤井:田中さんが現像するフィルムを集めるために、自転車で工事現場を
回っているときに島木譲二さんが出てきて「お宅のご主人プロゴル
ファーを目指してるんやて?
わしら、勇気づけられまんがなあー。頑張ってもろてやー」と言い
ながら灰皿で頭をぽこぽこやっていたんです。
「このおっさん、何やってるんやろ?」と思いましたが、明るくて前
向きなキャラクターでこの映画には必要、ホッとして、ええシーン
になっていました。
田中:ひとりの被災されたおばあちゃんがある日、出かけようとして
「どこに行くの?」と聞かれたときに「大阪に吉本を観に行くんや。
衣食住がそろっても人間には夢が必要や。
夢や希望がないと生きていかれへん」と言われたというのを聞いて、
人間は夢とか希望とか笑いとかが大切なんだ、ひとりでは生きていけ
ないんだと思いました。
アイドルをやっていたときの田中好子さんとは、また一味違う人生を冷静に
見つめた目を感じさせる発言だ。
何にせよ、あまりに早すぎる旅立ちだった。