- ターミナル DTSスペシャル・エディション<2枚組> [DVD]/トム・ハンクス,キャサリン・ゼタ=ジョーンズ,スタンリー・トゥッチ
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◎ターミナル 2004年 アメリカ
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演者:トム・ハンクス、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、スタンリー・トゥッチ、
チ マクブライド
映画「ターミナル」が日本に来る前に、とても奇妙な記事を読んだ。
それが『16年間、空港で生活する男 フランス』という記事だった。
● 映画化の権利の代価として30万ドル
アレフレッド・メーラン,本名(マーハン・カリミ・ナゼリ<自称59歳>)、
彼の家具は生活用品が納められたバッグといくつかのダンボールのみ。
新聞とコーヒー、そしてささやかな食事だけにお金を使い、静かに空港で暮ら
し続けるという、不思議な生活だった。
2004年、6月に米国にて「ターミナル」が封切られると共に、多くの
取材陣が彼のもとに殺到。静かにたたずむ彼の姿を写真に納めた。
「私は有名人なのかもしれません。でも人生は何一つ変わりませんね。
今だって、別にいい家に住んでるわけじゃない、ここに座ったままです。」
何だか、哲学者のような落ち着きぶりだ。
スピルバーグ監督のドリームワークスから、映画化の権利の代価として30万
ドル(日本円でおよそ3300万円)を受けとっているが、彼はその報酬に
ほとんど手をつけず、今までと変わらない日々を過ごしているという。
● 政治亡命者であるマーハン
マーハンの語った半生とは・・・
マーハンの話しによれば、イランで生まれ育った彼は、英国のブラッドフォー
ド大学へと留学し、そこでイラン国王に反対するデモに参加。
1976年、彼は帰国するとデモ活動を理由に拘留され、国外退去を命じ
られる。英国へトンボ帰りするも、政治亡命者である彼の入国を英国は拒否
した。
マーハンハはヨーロッパを転々とし、1988年、彼の人生を変える事とな
るフランスのシャルル・ド・ゴール空港ヘと到着。その10年後にフランス
政府は彼を難民として受け入れる事を決定し、マーハンに書類にサインを求める。
しかし、マーハンは突然気を変える。
入国審査の紙に書かれていたのはマーハン・カリミ・ナゼリ…それは彼の
本名だった。
「私はサインすることを拒否しました。それは既に私の名ではないからです。
私の名はアルフレッド・マーハン卿です。」
正直、ここの心境は今一つわからない。なぜ、名前にこだわるのか?
偽名が使われていたのならともかく、本名がまずいとは?
アルフレッド・マーハン卿という名前は、彼を英国の移民局の人間が間違え
て呼んだ名前。
笑い話しとして話したら、それが渾名としてそのまま定着したとの事。
● 無人島で暮らしているような
映画「ターミナル」はマーハンの半生とは凡そ似ても似つかない話しだった。
トム・ハンクス演じる主人公は空港でキャサリン・ゼタ・ジョーンズ演じる
スチュワーデスと恋に落ちるが、「自分には一人の友達さえもいない」と、
マーハンは語る。
マーハンはとても静かな生活と孤独を愛する、学者タイプの男のようだ。
彼は英国に2年間留学していたため、英語はもちろん、ユーゴスラビア語など
も話す。
また彼は心理学の学士資格なども持っている。
空港内で働くいくらかの人々に彼についての話を聞いてみたところ、彼は
普段は全く人とはしゃべらず、
「まるで無人島で暮らしているような」 - ある女性はそう表現していたという。
確かに、映画の中での人物とは違っている。
しかしモデルがどうであれ、映画「ターミナル」はとてもいい映画だった。
ぼくには、この映画は80点。
トム・ハンクスというのは不思議な俳優だ。彼の顔がアップになり、あの
なんとも表現のしようがない表情を見ただけで、心にざわざわ来る何かがある。
だから、泣きの場面では、トム・ハンクスの表情のアップだけで、グッときて
しまうのだ。
最後には空港の外に出るが、空港という限られた空間の中だけで、あんなに
面白い映画ができるというのはすごい事だ。
しかし、『ターミナル』という映画はマーハンの空港に何年間も住む事になっ
たということ以外にどこをモデルにしたのだろう?
トム・ハンクスが空港職員に頼まれ、同郷人と職員との通訳を行うエピソードや、
空港内で、簡単な仕事をして給料をもらうエピソードなどは、彼の実体験に基づ
いたものだという。
2004年11月20日付けの記事で、アレフレッド・メーランがついにパリのドゴール
空港を離れるという情報を得る。
アレフレッドは、米国での自著の出版や映画への夢も持っているという。
いつか、トム・ハンクス主演の映画とは別の、全て実話の「ターミナル」映画が
見られるのだろうか。
<2014年2月9日 追記>
ウィキペディアに、現在の彼の状況が掲載されていたので、追記します。
2004年 には、アメリカへ入国するためのビザを取得し、アメリカへの移住も考え
ていたそうだが、2006年8月に体調を崩し、一時空港内の病院に入院していた。
2007年1月に彼は退院したが、フランス赤十字が彼の待遇を憂慮し、パリ郊外の
ホームレス支援施設に彼を移送した。これによって1988年から続いた彼の空港
暮らしは19年目でひとまずの収束を見る形となった。
しかし、世界的に有名な彼が「ホームレス支援施設」に移送って、もう少しなん
とかならないものなのか?
彼は1988年8月8日から2014年12月までシャルル・ド・ゴール空港に住み続け、
その生活を綴った日記を自叙伝として編集し直し、「The Terminal Man」として
2004年9月6日に出版している。自著の出版の夢は叶ったわけだ。
参照:16年間、空港で生活する男 フランス
16年間、空港で暮らす男がついに搭乗ゲートへ - 視察番外編
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