宮城まり子(83)と言うと、ぼくのすぐ浮かんでくるイメージは、過去に作家の
 吉行淳之介と、恋人同士であったということ。
 それと、肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を設立し、園長になっ
 たということだ。

 でも、ウィキペディアで、主な来歴を見ると、ずいぶん多方面で活躍した人なの
 だということがわかる。

 1950年に『恋はお荷物』でレコードデビューをして、1951年、ビクター移籍第二
 弾『あんたほんとに凄いわね』が初ヒットに。
 NHK紅白歌合戦にも、1954年の第5回から1962年までの間に、計8回出場して
 いる。

 1958年、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』では声優を務めた。その後、
 女優業に進出し、1958年、『12月のあいつ』で芸術祭賞。
 1959年、『まり子自叙伝』でテアトロン賞を受賞した。

 1968年に「ねむの木学園」を設立。この頃より、タレント活動は事実上引退状態
 となる。
 1973年、吉川英治文化賞受賞。1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・
 監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。

 ● 大切な人の巨額詐欺
 さて、そんな宮城まり子の子供たちの「未来」のために蓄えられた5億円が、
 男の身勝手な音楽活動に浪費されていた。養護施設「ねむの木学園」を舞台
 とした巨額詐欺事件が起きた。
 主犯格とされる作詞作曲家の広沢憲行容疑者(57)は詐欺容疑で2月17日に
 逮捕された。

 広沢憲行は2002年11月ごろからねむの木学園に出入り。ボランティアとして
 子どもたちを支援する行事に参加し、クリスマスケーキや中古車を学園側に
 寄贈することもあった。
 周囲に「学園にとって大切な人」と思われていたという
 
 広沢が番組を持っていたのは、岡山県倉敷市のラジオ局「エフエムくらしき」。
 同局によると、広沢は2003年から、週1回30分の放送枠を月数万円で買い
 取り、自分がプロデュースした歌手の曲や歌謡曲を流していた。
 営業担当者は「困惑している。過去を話そうとしないなど不審な点はあったの
 だが…」と話した。

 ● 男の人にあげてしまいました
 宮城まり子は事件後、産経新聞社に「母のお願い」と題する手記を寄せた。
 手記は骨折して入院中の病床で書いたという。

 「なんということでしょう。三十五年、働いていた女性が、内緒で、預金通帳を
 持ち出し、大切にしまってあった四十年間必死でためて来たお金を男の人に
 あげてしまいました」

 詐取された現金については「私の死んだ後、身体が悪く、不自由で、父母のい
 ない子にあげたいと思っていました」と説明。
 「こども達は、今、動揺しています。一日も早く警察の捜査がすみ、もとの明
 るいねむの木学園にして下さい。私はあの子たちの『母さん』なのです」と結
 んでいる。

 ● 交通事故に遭ったことで一変
 近藤由美子容疑者(56)が昭和43年設立の「ねむの木」で働きはじめたの
 は約35年前だった。彼女は宮城まり子が記した著書に感銘を受け、職員採用
 に応募。保母として採用された。
 
 近藤は美術やダンスなど、感性をはぐくむ授業に重点を置く学園で献身的に
 活動した。
 順風満帆に見えた彼女の学園生活は約20年前、交通事故に遭ったことで
 一変する。

 後遺症で保母として満足に動けなくなったことなどから、宮城まり子の自宅
 (東京)にある学園の事務所に配置換えになった。事務所に住み込みで、
 学園や宮城・個人口座の管理を担当する仕事が任された。
 「子供たちに囲まれたにぎやかな職場から一転、東京事務所は宮城の愛犬
 『ブースカ』1匹が傍らにいるだけ。
 徐々に寂しさを募らせていったようだ」(捜査関係者)

 一方、主犯格とされる広沢憲行が学園と接点を持ったのは平成9年11月ごろ。
 「朝比奈圭」の名で音楽活動をしていた広沢は、学園で行われたイベントへの
 参加を機に宮城さんと知り合った。

 広沢憲行が、学園と近藤を「金づる」として利用し始めたのは20年頃だ。
 「CDの制作費を支払ってもらえませんか」
 広沢は当初、宮城まり子本人に金を要求。彼女は断ったが、請求書が東京
 事務所にも届いたことで、近藤由美子と広沢憲行が直接、やり取りするように
 なった。
 会話を重ねるうち、近藤が学園の資金管理を一手に担っていることを知る。

 ● 自分に入る著作料で返す
 「学園内で子供たちが歌う歌にも著作権が必要。知り合いの弁護士を使って
 和解する」と偽り、日本音楽著作権協会との和解金名目で現金を要求していた。
 広沢が宮城と子どもたちの歌が入ったCDの収録後、「原盤をなくした」とうそ
 をついて再制作費用を引き出していた疑いも浮上。

 「借金取りに追われている。自分に入る著作料で返す」
 言われるがままに金を引き出し、広沢の口座に現金を振り込む近藤由美子。
 宮城まり子に残高不足を指摘された近藤が不正発覚を恐れて相談すると、
 広沢は「残高を偽造すればだませる。知人の銀行員に頼む」とうそを重ねた。

 約1年後、近藤は請求内容がウソだと気付いたが、広沢に「これまでのことを
 宮城さんに言いに行こう」と言われ、宮城まり子に畏敬(いけい)の念を持つ
 近藤は、犯罪に加担した事実を言い出せなかったという。

 逮捕容疑となった詐取額1500万円を含め、昨年6月までに引き出された5億
 円は、広沢がプロデュースする歌手のコンサート費用などに充てられた
 また金の一部を消費者金融への返済に充てていたことが、捜査関係者の話で
 分かった。

 ● 女性を操る手腕にはたけていた
 「近藤は『寂しい職場での話し相手になってくれた』という趣旨の供述をして
 おり、広沢憲行に好意を抱いていたようだ。広沢が積極的に外に連れ出したり
 した形跡はないが、近藤の感情をくみ取った上で、徐々に共犯者へと仕立て上
 げていったのではないか」

 一連の犯行で得た5億円は全額、広沢に渡ったとみられ、近藤由美子の金銭
 的なメリットはなかった。
 「音楽プロデューサーとしての手腕は知らないが、女性を操る手腕にはたけて
 いたのかもしれない。共犯者とはいえ、近藤容疑者が気の毒な面もある」
 (捜査関係者)

 とは、言え一番きのどくなのは宮城まり子。
 信頼していたからこそ、近藤由美子に口座の管理をさせていたはずだ。
 また、タレント活動を事実上引退状態にしてまで、築き上げた「ねむの木学園」。
 ここの存続は大丈夫なのだろうか?

 彼女は、貧しい母子家庭に出生、幼くして母、弟と相次ぎ死別するつらい少女
 時代を送ったという。だからこそ、なおさら学園に力を注いできたと思えるのだ
 が・・・・。

 参照:宮城まり子 - Wikipedia
    【衝撃事件の核心】宮城まり子さんも嘆息…56歳の「女心」につけ込んだ
              音楽プロデューサーの“手腕  MSN産経ニュース