2月10日に、北野武の単行本「超思考」( 幻冬舎・1470円)が発売されている。
本書には、雑誌「papyrus」に掲載された彼のエッセイを収録している。
「日本総国民思考停止」と題した論考に始まり、最終考「くそジジイとくそババア」
まで、北野が独自の切り口で持論を展開しているとの事。
アマゾンでのレビューを読んでも、おおむね好意的な意見が多い。
その最新作の「超思考」という本ではないが、最近、「全思考」という北野武の
本を読んだ。
「全思考」といい「超思考」といい、何か思考というタイトルが好きなようだ。
買うほうも、何か考えさせられる気になるから、この題名は効果的なのか?
ところで、この本で心に残ったのは北野武の映画に対する考え方だ。
イタリアの映画祭で挨拶させられたときに皮肉を言ったという。
「世界の人口の何分の一かは、今日の飯をどうやって喰って、どう生き延びよ
うかってことだけで精一杯なのに、自分は映画なんか撮っていられて、しか
もそれでこんな賞まで頂けるなんて、私はとんでもない幸せ者です。
心から感謝してます」と。
嫌味なヤツと思われたかもしれないけれど、それが武の本音だという。
その後に、その発言は「メディチ家のせいだ」ということで、話は続くのだけれ
ど、そこは興味ある方は、ぜひ本を読んでください。
すごいと思ったのは「頭の中でカメラを回す」というところ。それができなけれ
ば映画監督なんてやってられないという。
夜寝る前に台本を書いて、布団に入って目を閉じたら、「よーい、スタート」
でカメラを回す。それでどんな絵になるか想像する力がない限り、編集もでき
なけりゃ、現場に行っても撮影はできない。別に訓練したわけじゃないけれど、
最初の映画からそうやって作っていた。
映画にもよるけれど、1本の映画に1000カットあったとして、その1000カット
の順番は頭に入っているのだ。あのカットは何秒ってことが、だいたいわかる。
だから編集するときは、スクリプターの人に聞かなくても、「4シーンの3カット
目を出して」とソラで言える。
(第五章 映画の問題 より)
※
武は本屋によく出かける。
ある本屋で同じおばさんに3回声をかけられたことがあるという。そういうこと
もインターネットの本屋では体験できず、何でもない出来事なのだが、そうい
うことが人生の手触りみたいなものになっていくんじゃないかと、述べている。
ここの部分は、本を読み終えた後に何度も思い出してしまった。とても奥深い
ところで、自分の心に中にしみこんだようだ。
「武さん、一ヶ月ぶりじゃない、ここ来るの」
小声で、あんたとあたしの内緒よって感じで、「私、万引きの監視係なんです
よ」って教えてくれた。
雨の日だったのだが、そのおばさんは、ちゃんと傘を持って、普通のお客のよ
うな顔して巡回をしていた。
それから1年ちょっとして、今度は暑い季節だった。
また同じおばさんが、すーっと横に寄って来て、「どうも、ひさしぶりです」って
声をかけてくる。
今度も買い物籠かなんかを提げて、ふらっと本屋に立ち寄ったおばさんの格好
をしていた。
そして、3回目。おばさんは寂しそうな顔をしていた。
「武さん、今月で辞めることになりました。いろいろ、ありがとうございました」
なにがありがとうなんだか、わからなかったけど。
3年くらいの間に、3回しか話してないのに、万引き監視係に会って、いつも
来てますねと、声をかけられる導入と、ひさしぶりですねぇっていう経過と、
今度辞めることになりましたっていう結末がちゃんとあって、ひとつのドラマに
なっている。
これは映画のヒントになるんじゃないかなんて、しばし考え込んでしまった。
長く撮らなくてもいい、15秒のシーン3回で、そのおばさんの人生の断片を描
けてしまうわけだ。
(第四章 作法の問題 より)
おばさんに本屋で声をかけられた事から、「映画のヒントになる」と、考え込む
ところは武が映画監督ならではの発想なのだろう。
これがまた、もし声をかけられたのが武ではなくて同じ近所のおばさんだった
なら?
もしくは……、
近所のおじさんと思って声をかけたら、その人が、万引き常習犯で様子をうか
がうために本屋を訪れていたのだとしたら・・・
などと、けっこういろんなシチュエーションを考えられる例だったりもして、ぼく
には別の意味で想像力を刺激してくれる。
本書には、雑誌「papyrus」に掲載された彼のエッセイを収録している。
「日本総国民思考停止」と題した論考に始まり、最終考「くそジジイとくそババア」
まで、北野が独自の切り口で持論を展開しているとの事。
アマゾンでのレビューを読んでも、おおむね好意的な意見が多い。
その最新作の「超思考」という本ではないが、最近、「全思考」という北野武の
本を読んだ。
「全思考」といい「超思考」といい、何か思考というタイトルが好きなようだ。
買うほうも、何か考えさせられる気になるから、この題名は効果的なのか?
ところで、この本で心に残ったのは北野武の映画に対する考え方だ。
イタリアの映画祭で挨拶させられたときに皮肉を言ったという。
「世界の人口の何分の一かは、今日の飯をどうやって喰って、どう生き延びよ
うかってことだけで精一杯なのに、自分は映画なんか撮っていられて、しか
もそれでこんな賞まで頂けるなんて、私はとんでもない幸せ者です。
心から感謝してます」と。
嫌味なヤツと思われたかもしれないけれど、それが武の本音だという。
その後に、その発言は「メディチ家のせいだ」ということで、話は続くのだけれ
ど、そこは興味ある方は、ぜひ本を読んでください。
すごいと思ったのは「頭の中でカメラを回す」というところ。それができなけれ
ば映画監督なんてやってられないという。
夜寝る前に台本を書いて、布団に入って目を閉じたら、「よーい、スタート」
でカメラを回す。それでどんな絵になるか想像する力がない限り、編集もでき
なけりゃ、現場に行っても撮影はできない。別に訓練したわけじゃないけれど、
最初の映画からそうやって作っていた。
映画にもよるけれど、1本の映画に1000カットあったとして、その1000カット
の順番は頭に入っているのだ。あのカットは何秒ってことが、だいたいわかる。
だから編集するときは、スクリプターの人に聞かなくても、「4シーンの3カット
目を出して」とソラで言える。
(第五章 映画の問題 より)
※
武は本屋によく出かける。
ある本屋で同じおばさんに3回声をかけられたことがあるという。そういうこと
もインターネットの本屋では体験できず、何でもない出来事なのだが、そうい
うことが人生の手触りみたいなものになっていくんじゃないかと、述べている。
ここの部分は、本を読み終えた後に何度も思い出してしまった。とても奥深い
ところで、自分の心に中にしみこんだようだ。
「武さん、一ヶ月ぶりじゃない、ここ来るの」
小声で、あんたとあたしの内緒よって感じで、「私、万引きの監視係なんです
よ」って教えてくれた。
雨の日だったのだが、そのおばさんは、ちゃんと傘を持って、普通のお客のよ
うな顔して巡回をしていた。
それから1年ちょっとして、今度は暑い季節だった。
また同じおばさんが、すーっと横に寄って来て、「どうも、ひさしぶりです」って
声をかけてくる。
今度も買い物籠かなんかを提げて、ふらっと本屋に立ち寄ったおばさんの格好
をしていた。
そして、3回目。おばさんは寂しそうな顔をしていた。
「武さん、今月で辞めることになりました。いろいろ、ありがとうございました」
なにがありがとうなんだか、わからなかったけど。
3年くらいの間に、3回しか話してないのに、万引き監視係に会って、いつも
来てますねと、声をかけられる導入と、ひさしぶりですねぇっていう経過と、
今度辞めることになりましたっていう結末がちゃんとあって、ひとつのドラマに
なっている。
これは映画のヒントになるんじゃないかなんて、しばし考え込んでしまった。
長く撮らなくてもいい、15秒のシーン3回で、そのおばさんの人生の断片を描
けてしまうわけだ。
(第四章 作法の問題 より)
おばさんに本屋で声をかけられた事から、「映画のヒントになる」と、考え込む
ところは武が映画監督ならではの発想なのだろう。
これがまた、もし声をかけられたのが武ではなくて同じ近所のおばさんだった
なら?
もしくは……、
近所のおじさんと思って声をかけたら、その人が、万引き常習犯で様子をうか
がうために本屋を訪れていたのだとしたら・・・
などと、けっこういろんなシチュエーションを考えられる例だったりもして、ぼく
には別の意味で想像力を刺激してくれる。