たった今、新聞に目を通して驚いた。


 西村賢太が、芥川賞をとった。

 昨日、西村賢太の小説に関して当ブログに書いたばかりだった。

 

 西村賢太の発言もまた、私小説同様に面白い。

 「僕もふだん誰とも話さないし、友達も一人もいない」
 「自分よりダメなやつがいるんだなという気持ちになってもらえれば書いたかい

 がある。それで僕も辛うじて社会にいれる資格が首の皮一枚、細い線でつな

 がっているのかなと思う」

 
さて、話題は代わり、本日は見城徹と鈴木いづみに関して。


 通勤の電車の中で「編集者という病い」という本を読んでいる。作者は
 見城徹(けんじょう・とおる)。
 この人は、「ふたり」「弟」「ダディ」「大河の一滴」などミリオンセラーを出し続け
 ている幻冬舎の代表取締役社長で現役の編集者。

 見城徹の文章は熱い。人物に対しての彼の想いを、フィルターなしでぶつけて
 いる。情熱をこめているので、本からその熱が伝わってくる。

 彼自身のキャラクターそのものがとても面白い。
 作家の小池真理子曰く、「すべてにおいて、見城氏は「過剰な」男である。
 自意識のありようも、自己嫌悪の度合いも、優越感も劣等感も、何もかもが
 過剰で、本人ですら、その過剰さにうんざりしながら生きている、という印象が
 ある。」
 解説で、見城徹との出会いを書いている。

 小池真理子がエッセイストとして世に出たばかりの頃、すでにスター編集者だっ
 た見城は村上龍の担当編集者でもあった。
 小池真理子は、村上龍と当時テニスをして遊んだり、飲みに行ったりしていた。
 そのため、彼女は何度も見城と顔を合わせるようになった。

 ある日、見城は「ノンフィクションを書かないか」と、まじめに小池真理子にアプ
 ローチしてきた。そのときの様子がこう書かれている。

 あんなキワモノのエッセイばかり書いていてはだめだ、と説教された。「きみは
 文章の中に『文化』という言葉を使うが、文化って何なのか、わかって書いている
 のか」などと、無礼なことを聞かれたりもした。

 私は「ノンフィクションではなく、小説を書きたいから」という理由で、彼の誘い
 を断った。その気持ちは本心からのものだったし、だいたい失礼千万な言い方
 ばかりされていれば、頭にきて反発するのは自然な成り行きだっただろう。

 「小説は後でいい。その前に俺と一緒にノンフィクションで勝負しよう」と言い張る
 かれとの間に、溝ができた。他にもいくつかのつまらない誤解が重なった。
 彼との関係はみるみるうちに悪化した。


 小池真理子と見城徹は、そんなわけで絶好状態になった。その後、関係を修復
 したとのことだ。
 しかし、今回は見城徹のキャラクターの面白さは置いといて・・・・・。
 その本のなかで述べられている「鈴木いづみ」という作家について書いていき
 たい。

 彼女の紹介を見城徹は本・「編集者という病い」でこのように述べている。

 彼女はポルノ女優でしたが、それだけでは飽き足らなくて小説を書き、現役
 のポルノ女優時代に「文学界」の新人賞でいきなり佳作をとってしまうんです。
 当初はポルノ女優が小説を書くというだけで、センセーショナルな話題を呼ん
 だものでした。

 とは言っても彼女の小説は、強烈なところが何もなく、まるで影絵のように
 印象の淡いものでした。
 彼女の人生そのものが強烈すぎて痛切すぎて、それらの葛藤を表現するた
 めに小説を書くのは諦めに近い作業だったんです。


 次の記述がまた、忘れられないインパクトを持つ。

 彼女はまた、容貌も強烈でした。元々は非常にエクセントリックな美しさを持っ
 ていましたが、阿部薫という伝説のジャズプレイヤーと暮らし始めると、彼の
 暴力によって全ての歯が抜け落ちてしまったんです。
 髪は脱色したようい赤茶け、酒と煙草と薬の日々で肌が傷み、女優としては
 成立しないコンンデションになって行きました。

       
             (中略)

 やがて阿部は睡眠薬の飲みすぎで亡くなり、鈴木は毎日電話をよこしました。
 ある日、キャッチホンで受けた僕が折り返しかけ直す旨を伝えると、
 「必ず電話をください。昔、親しかった人たちに挨拶をしたいのです」と・・・・・・。
 僕がその電話をかけ直さず終いにした約三ヵ月後、鈴木いづみがわが子の
 目の前で首を吊って自らの命を閉じたことを知りました。


 言うべき言葉がない、短く激しい生涯だ。彼女は36歳だった。
 今度、鈴木いづみについて書くときは、彼女の小説を読んだ後に本の感想を
 述べてみたい。