ぼくは谷岡ヤスジのギャグマンガをようやく見つけて買った。

 こうゆうマンガは、一気に読むと慣れて面白みが薄れてきてしまう。
 解説文を含めて1009ページもあるので、一日に一話か二話に限定し、少し
 づつ読んでいる。タイトルは「アギャキャーマン 傑作選」という。15年間、
 週刊漫画サンデーに連載された750本の中から、面白いストーリーのもの
 を118本選出して収録している。

 
むぅびぃ・とりっぷ-谷岡ヤスジ1
 
 彼は1999年に56歳で亡くなっている。
 1958年に文芸春秋漫画賞を取っている。そのわりには、現在本屋に行っ
 ても置いてあるところはほとんどない。ずいぶんな扱いだ。
 彼のギャグマンガはなかなかない味わいのマンガで、他のギャグマンガで
 代用がきかない面白さを持っているのに……。

 谷岡ヤスジは、子供が主人公のマンガでブレイクした。
 そのマンガは1970年に週刊少年マガジンに連載した「ヤスジのメッタメタガキ
 道講座』という。
 三つの何度も出てくる表現が印象的だった。

 暴力やエッチなシーンで興奮すると鼻血がドバッと飛び出す「鼻血ブー」という
 表現や、頭に日の丸をさしたムジ鳥と呼ばれる変な鳥が、 朝に「アサーッ」、
 昼なら「ヒルーッ」、夜は「ヨルーッ」と物語の冒頭で時間を告げる。他に「オラ
 オラオラ」などの流行語も生んだ。

 
むぅびぃ・とりっぷ-谷岡ヤスジ2

 しかし、その一番売れている頃、ぼくはまったくの無関心だった。単に下品さと
 勢いが売りのヘタクソなマンガというような認識しかなかった。
 そのマンガのブームも消えた頃に、再び谷岡ヤスジのマンガに出会った。
  
 それは、一冊の成人雑誌だった。ヌード写真と、いかにもウソ臭い風俗記事が
 載っている三流雑誌だった。そこに、見覚えのある谷岡ヤスジのマンガにひさ
 びさに出会った。
 『「少年マガジン」から消えて、こんなところで描いていたのか……』とゆう一種
 の悲哀を感じつつそのマンガを見て驚いた。

 まず、マンガの線がよかった。単純な線なのに、とても味わいがあって、ヘタウ
 マイラストを1コマづつ見ているようだった。
 正確なストーリーは忘れたが、こんな内容だった。

 独身の男は怒っていた。いつまでたっても、隣の部屋ではSEXをしている女性
 のあえぎ声が止まらない。独身の男が壁をけって「うるさい!」と、怒ってどなっ
 ていた。最後にその隣の女性の大きなお尻が壁を壊してつきやぶった。
 独身男の部屋の壁にお尻がささったままになった。

 男は、声もなく茫然としたまま鼻をたらし、マンガは終わりという内容だった。
 「これが落ちでいいのか?」と疑問に思ったが、そのマンガのパワーで押し切っ
 た奇妙な味わいはしばらく後を引いてしまった。

 「アギャギャーマン 傑作選」のなかでも、谷岡ヤスジの漫画のパワーに関して、
 呉 智英(くれ ともふさ)が、こんな事を言っている。

 『同世代の高信太郎は、初期のころから谷岡にはかなわんと思っていて、
 谷岡と同じ雑誌でやっていると、競輪競技と同じで、はねとばされるというんだ。
 だから、あの人のそばに寄らないようにした、と。
 ああ、うまい表現だなと思って、「プロの目で見ても谷岡ヤスジのアイデアって
 すごいの?」
 といったら、
 「バカ!谷岡のマンガにアイデアがあると思うか。あんなものはアイデアじゃな
 い。あるのはパワーだけだ」

 (笑)。これは非常に正しい判断で、パワーだけであれだけのものが描ける。
 まさにそれは体力といっても、脳内物質といっても、何でもいい。あのそばに行
 くとはねとばされる。」

 さて、話は元に戻り、エロ本で谷岡ヤスジのマンガに魅せられてから、彼のマン
 ガをぼくは探し始めた。
 そして改めて、その実力に関心したものだ。ブームを呼んだ爆発的な人気はな
 くなったろうけど、新たな魅力で、再生していたことを感じた。
 
 ところで、谷岡ヤスジのマンガは、こんなに出版されない状態だと、やがては
 消えてなくなってしまうのかもしれない。それはさみしいので、ぜひ出版社の方
 は、谷岡ヤスジの作品に触れて、その魅力を再認識して出版を考えてほしい

 と思う。