『今日は、たまりにたまったエロ本でも片付けよう』などと思っ
てゴチャゴチャ本棚をいじっていたら、公募ガイドが出てきた。
2000年の7月号だから、今から約10年前だ。
ぼくはその雑誌に、「公募にかんする悲喜こもごも」とゆう読者
からのたよりに応募して、掲載されていた。その時の文章を読み
直して、なんともなつかしい想いにとらわれた。
今日はその文章をここに書き写してみよう。
裸の絵
「『おとうさん、また変態の絵を描いている』って、慎二が暗い
顔していたわよ」と妻が言う。慎二は私の息子で今年小学四年
になる。私の描く絵に少しでも女の人の裸が出てくると、即、そ
の絵は変態の絵ということになってしまう。
裸の絵は、雑誌に投稿する為に描いている。投稿といっても
『公募ガイド』にはのらないもう一つの世界、エロ雑誌が募集し
ているものだ。イラスト投稿を始めて十年になる。九割は雑誌に
掲載された。賞金は安くて三千円から上は一万円まで出る。これ
は、いいこづかい稼ぎになった。
コンクール形式でやっている雑誌では、新人賞をもらった事もあ
る。せっかくもらっても表だって自慢できないのがつらいところ
だ。
中学生のころから画家になるのが夢だった。勉強はほっといて、
一日中でも絵を描いていた。描く事が楽しくてしょうがなかった。
突然、自分の体に絵画という魔物がとりついたかのようだった。
しかし、時は過ぎ去り魔法はゆっくり解けていった。
昔身につけた絵画の技術が、今では『エロ雑誌でのこづかいかせ
ぎに活用』というのも寂しい気がしないでもない。妻も同じ事を
考えているようだ。
「そろそろ普通の絵にもどったら?慎治も大きくなってきた事だ
し。でもどうしてもやめたくない、ポリシーを持って今の裸の絵
を続けるって言うなら無理にとは言わないけど・・・・」
妻と子供に白い目で見られてまでも、裸の絵に執着する必要も
ない。これを機会に、普通の絵に戻り、上野の美術展にでも応募
してみようかな? とおもっている。
それに対する、編集部のコメント。
『それも才能だと思うからもったいないな―。堂々と開き直って、
その道を極めるのもアリのような(奥さん息子さんごめんなさい)
という、温かみのある言葉だった。
さて、ぼくは今は絵からはずいぶん離れてしまった。また、昔の
ように紙に落書きから始めて、描いていこうかな?
