ジュンバタン・メラ | 鮫鰐通信

鮫鰐通信

バリで5年暮らした後スラバヤ駐在の旦那サマと結婚。スラバヤ生活5年半を経て、2016年4月末に本帰国しました。
       島が変われば品変わる。フリーライター系駐在員新妻のスラバヤあれこれ、時々猫とバリ。

都内に「ジュンバタンメラ」というインドネシア料理のチェーン店がありますよね。日本に住んでいた頃はよくランチしに行ってました。ここのサンバルはABCのボトルじゃなくて、ちゃんと作ってるやつだったからです。都内で働いていた頃、バリ成分が足りなくなるとジュンバタンメラや、今は無き新宿のインドネシア・ラヤに行ってはインドネシア料理を食べてなんとか仕事を乗り切っていたものです。
インドネシア語を勉強するようになって、「ジュンバタンメラ」というのは「赤い橋」という意味だと知りましたが、その謂れはわからないままでした。
今回スラバヤに住むことになって、この土地のことを色々調べている中で、ジュンバタン・メラがスラバヤにあることを知りました。わざわざ名前(というほどのものでもないけど)がついてるし、日本でインドネシア料理店の名前になってるくらいだから、なにか象徴的な橋なんだろう、と更に調べると、このブログのタイトルの由来にもなっているサメ(=スロ)とワニ(=ボヨ)の伝説が出てきました。

昔々、サメとワニは海と陸をそれぞれの縄張りと認めて共存していました。ところがある時、「川はどっちの縄張りだ?」と争いが起こり、それをきっかけに「どっちが強いか決定戦」をやったろうじゃないか、ということになったのだそうです。両者が流した血で川が赤く染まった、それがこのジュンバタン・メラだった、ということらしいんですね。

でもそれじゃ、スンガイ(川)・メラ(赤)じゃないのか?
むむむ?
私が聞いたのは、別の話でした。

1945年、第二次世界大戦終結直後のインドネシアは、それまでの日本支配から離れて再びオランダ植民地となるところでした。それを嫌い、独立を目指すインドネシアと再植民地化を目指すオランダとの間に独立戦争が勃発。1945年8月17日にスカルノの私邸で500人ばかりの人々の前でなされた独立宣言、しかしオランダ側は認めません。その後連合国軍(調停役)としてイギリス軍が10月26日にスラバヤに上陸、しかし連合国もオランダも同一に敵とみなしていたインドネシア独立軍との間に小競り合いが起きます。10月30日には停戦協定が結ばれますが、そのわずか5時間後、イギリス軍のマラビィ准将が乗っていた乗用車が白昼堂々爆破され、准将は死亡。これに激怒したイギリス軍が犯人と武器の引き渡しを要求、さらにシンガポールに駐留させていた兵を投入しますが、スラバヤの住民達は要求を断固として拒否、「Merdeka atau mati」(独立か死か)という強烈なスローガンの元蜂起し、11月10日、両軍は全面衝突します。
当時スラバヤの中心だった、現・マジャパヒト・ホテル(日本占領時は大和ホテル。オランダ植民地時代のオラニエ・ホテル。市内有数の建物)やそのすぐ近くのジュンバタン・メラなど、市中心での市街戦となり、イギリス軍側の死者千人余に対し、インドネシア側は艦砲撃、空襲などで民間人を含め
5千~2万人が死亡・行方不明となる、インドネシア独立戦争の象徴的な激戦となりました。橋が血で染まって赤くなった、だからジュンバタン・メラ。「スラバヤ血の海戦争」と呼ばれるほどおびただしい血が流された激戦の地は、独立戦争の象徴的な場所となりました。
その後インドネシアは独立を勝ち取って行くことになるのです―――。

11月10日は「英雄の日」という記念日で、独立のために戦った数多くの名もない青年達を悼む儀式が営まれます。



ジュンバタン・メラの由来としては、この独立戦争の話の方がしっくり来るような気がするんですね…。スラバヤ市民はすぐ隣のマドゥラ島出身者が多いらしいのですが、マドゥラは元々戦闘民族なのだそうです。血気盛んに独立を叫び、戦いに身を投じていった青年達。その血で染まったと言うジュンバタン・メラ。

今はそんな面影もない、ベチャが行き交う静かな「元・中心地」。
$鮫鰐通信-ジュンバタンメラ


簡単な欄干は、一応赤く塗られています。
$鮫鰐通信-一応赤い


この周辺は植民地時代の中心地だったこともあって、古い建物が多いです。
$鮫鰐通信-コロニアル


ジュンバタン・メラを渡ってすぐのところにチャイナ・タウンがあります。
$鮫鰐通信-チャイナタウン入り口

以前は夜毎道を占領して屋台が連なっていたそうですが、今は禁止されていて、通りに面したほぼ全ての店のシャッターが閉まったまま。人通りも少なく、寂しい町だな、という印象です。

ジュンバタン・メラのすぐ近くのジュンバタン・メラ・プラザというデパートの前には
$鮫鰐通信-記念碑

記念碑がありますが、工事中で近くまではいけず。整備しているようなので、きれいになった頃もう一度行こうと思います。