今回は信州一人旅です。
昨年は仕事の都合で、旅に出ることができず、この日が来るのを待っていました。
いや~長かったような短かったような

感慨深い気持ちになっていては、進みませんので、この辺で

11月1日の夜に出発しました。

西名阪をひた走り、関宿にたどり着きました。
1号線を大きな音を立ててトラックが走り抜けてゆきます。

こちらの道の駅で仮眠をし、翌朝

1号線、25号線、県道等々を走って最初の目的地です。

これは、線路の跡だろう
そして、こちらは跳ね橋
ここは、四日市港です。
跳ね橋は末広橋といい、日本で唯一でしょうか?
数少ない現役の鉄道用の跳ね橋です。

鉄道が全盛期の頃は、港には線路が張り巡らされ、可動橋も数多くありました。

四日市港は、数少ない港に続く線路を見ることができます。

橋を渡った線路は、大きく二手に分かれ、この島を縁取るように線路が通っています。

今は、セメント原料を運ぶだけですので、網の目のように張り巡らされていた倉庫に続く線路などは、既に無くなっています。

子供の頃、「太陽にほえろ」や「西部警察」で、犯人を追い詰めると、たいてい貨物駅や倉庫が舞台になりました。
かっこよく犯人を捕らえたり、逆に撃たれて殉職したり
「なんじゃこりゃ」このフレーズをリアルタイムで視たかどうかは定かではありません。
でも、
いつかは港に行ってみたい・・・子供心に思ったのです

あれからうん十年、そんな港にきてみました。
線路は、意外としっかりしています。
使われていないところは、草がぼうぼう、木も生えて、車止めが埋まってしまっています。

反対側に移ると、大きな踏切がありました。
遮断機はワイヤーです

どこかの倉庫に、犯人が隠れていたりするのでしょうか・・・
オイコラ!まて!・・・
そんな声が聞こえてきそう

もう、配役も忘れてしまいました。
 
かろうじて覚えているのは、石原裕次郎がブラインドを指で下げて・・・そんな寂しい気持ちになってきました。
 
さて、
伊勢湾道を走り、もう一つのふ頭へ行くつもりだったのですが、高速道路の降り口を間違えました。

諦めて信州の旅に戻ります。
名古屋の町は、大きな道がいっぱいです。
しかしまぁ信号機は赤ばかり・・・前に進みません。

ちょっとイライラしながら、犬山方面へ
国道を41号線は、飛騨川に沿っていて、黄色く染まった山々を見ながら飛騨の町を目指しました。

途中、日本最古の石博物館が目に留まり休憩です。

「半分青い」を視てから、ついつい五平餅を頼んでしまいます。

焼いた味噌がおいしい

このゴミ箱に関心
・・・燃やすと良くないゴミ・・・・

分かりやすいですよね
 
飛騨の町にたどり着きました。
昼ご飯を食べたお店は鳥海
お店には、山形県と秋田県にまたがる鳥海山の写真が飾ってありました。
どこかこの山に魅せられた人がお店をしているのでしょうか
謎に包まれながら、飛騨牛入りハンバーグを頂きました。
そして、2日目の目的地
平湯の森キャンプ場に到着です
ここは、200台収容のオートキャンプ場。広々としていますが、テントを張る平坦な所には杭が打たれ、車は入れません。
うーん困ったぞ、キャンプ場をクルクル走って、何とか平坦で、トイレに近いところを見つけました。
一人なので、タープも椅子も外には出さず、室内でおとなしくしています。
 

日が傾き始めました
 
平湯温泉がまっています。
キャンプ場からは、ポチポチあるいてゆきますと

大きな古民家風の宿泊施設

薄く白濁したお湯に浸かりながら、旅の疲れを癒します。
 
そして、夕飯は、平湯温泉から徒歩で行ける”あんき屋”にて
 
「あんき屋特製飛騨牛鉄板焼」

土鍋の蓋を店員さんが開けてくれて、さあどうぞ!

・・・・

半煮えです

もうちょっと焼いてからおいしくいただきました。
 
 
日が沈み、夜は2℃位まで下がりました。

自作の暖房機のおかげで、部屋は20℃程度です
 

翌日は、キャンパーフェスの開催地、安曇野を目指します。

お昼過ぎに到着すると、様々な自作キャンパーが並びます。

私も仲間に入れていただいて、でも隅っこの方で目立たないように・・・

あまり特徴がないシェルなので、暖房機を見えるようにして置いてみました。

そうすると、これ何ですか?と声をかけてくれる人が何組かあり、仕組みを説明いたします。

他の手作りキャンパーともお話ができて、次回作の構想が!!
湧いてくるのですが・・・作るかどうかは未定です。
 
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆきます。

安曇野の素敵な景色を目に焼き付け

大阪に帰ってきました。
走行距離850キロ・・・O2センサー故障のおまけつき・・・