あの日から3年たちました。 | Bohemian78-ambのブログ

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3年前の3/11日のエピソードを思い出した。

会議中に長周期の大きな揺れが始まり机の下に退避しているときのこと。
その日成田についたばかりの1人のスペイン人のインターン生が山手線の電車を降りて職場に向かっていた。彼女は最初時差ボケで目の前がくらくらしていると錯覚したそうだ。そして出迎えに来た若手社員の説明で日本の東北地方で大地震があったことを知った。

彼女はとりあえずこれから自分の住家となる職場近くの寮にボストンバックを置き、エレベータが止まったオフィスビルを階段で12Fまで上がった。本来ならすぐに歓迎の紹介があるところだが、職場はテレビに映し出される津波の映像で騒然となっていた。地震と縁のない国から来た彼女は大きな余震でビルが軋むたびにおびえていたのを覚えている。落ち着かせるためにビルは大丈夫であることや
現在の東京の状況を説明した。寮に戻った初日の夜は不安だったに違いない。

そして数日後の原発事故。3/17午後には電力不足による交通機関停止の可能性を理由に社員全員に早退指示が出た。今思えば理由は原発事故そのものだった様に思える。彼女は祖国のご両親の心配もあり一旦関西の方に退避してもらいそのあと帰国した。

その彼女が7月には再来日。今度は満面の笑顔の来日だった。翌年の3月まで9か月も日本に滞在し職場でのインターン実習で立派に成果を上げてくれた。日本語もかなり話せる様になったのには驚いた。日本の文化や自然などを愛してくれて復興に向けて頑張る日本の状況をSNSのツールを使って世界に発信してくれていた様だ。とても感謝をしています。彼女には日本がどのように映っただろうか。



◇  ◇  ◇  ◇   ◇
同じ2011年3/11に1人のミュージシャンが日本でのコンサートの為に成田に向かっていた。シンディー・ローパーさんだ。
飛行中に超巨大地震が日本を直撃。その為7時間遅れて横田基地に緊急着陸。
ホテルに着いたのは翌朝の4時を回っていたそうだ。その後、余震の続く中、関係者のツアー中止案、緊急帰国案に対し一人悩み、最終的に「日本に少しでも勇気を」と会場に募金箱設置を自ら提案し、ツアー決行を決定。

彼女のその後の日本でのライブは伝説になった。


~日本がシンディーを愛する理由~
#UP主様お借りします。

 


今も震災の傷跡で苦しまれている多くの方々の一日も早い復興をお祈りいたします。