久々の鉄記事です。
先日、実家から古いポジフィルムを発掘した。
1979年の9月中旬 大学2年の夏休みに日豊本線、宮崎以南でブルートレイン「富士」、「彗星」を追った時のもの。同年9月25日の鹿児島電化完成で廃止になるDF50型ディーゼル機関車の最後の雄姿を収めるのが目的だった。

~日豊本線 田野ー青井岳 下り「彗星3号」 1979年9月~
(フィルムの汚れが御見苦しくすいません。別途クリーニング予定です。)
(フィルムの汚れが御見苦しくすいません。別途クリーニング予定です。)
日豊本線の日向沓掛(ひゅうがくつかけ)~田野~青井岳。おそらく私より先輩世代の鉄道マニアであればご存知の方が多いはず。日本に数ある鉄道写真の景勝地の中でも、この区間は誰が撮影しても傑作が撮れるポイントの宝庫。
南国特有の日向杉に囲まれた雄大な田園風景をつらぬく大築堤と鉄橋が列車をを一層引き立てる。

~同上 別アングルにて~
1974年以前、このあたりは「緑と太陽とC57」と呼ばれるほどSL C57の名撮影地だった。夕日に輝く門鉄のC57のサイドビューは美しかったに違いない。残念ながら当時中学生でここまで撮影に来る行動力もなかった。
1973年の10月にC57が寝台急行列車「日南3号」の先頭に返り咲く。北海道のC62重連の「ニセコ」終焉でSLによる優等列車牽引はもうないものと思っていたのでマニアは色めきたった。74年4月までの短期間とは言えSLの最後を飾るフィナーレだった。
その時の同場所での写真を他の方blogで発見しました。blog主様お借りします。
日南3号を牽くC57 田野付近
同じく日南3号と20系時代の寝台特急「彗星」
この1973年10月~1974年4月と言えば丁度キャンディーズがレコードデビューし「あなたに夢中」「そよ風のくちづけ」で頑張っていた時期と重なる。

自分がこの地に立った時にはもちろんC57は無かった。そしてそのキャンディーズが解散してから1年たっていた。
カメラはOlympus OM-2。75-150mmズームレンズ。これとは別にVictor製のデンスケ(KD2)でステレオ録音も行ったので大がかりなロケだった。9月とは言え南九州は暑く炎天下で汗だくになりながらの撮影となる。農作業中の農家の方に頂いた冷たいやかんの水の味を思い出す。

残念な事に電化間近でED76型電気機関車を前補機につけた訓練運転が多かった。前日、霧島神宮付近で待った特急「富士」もがっかりな結果になってしまった。

~下り普通列車 ED76 + DF50 同場所~
日は傾き、迎える舞台は整った。この日はどうだろうと息を飲んで待つ。
来た! 東京からの寝台特急「富士」。西鹿児島に向けてラストスパートだ。

~日豊本線 田野ー青井岳 寝台特急富士 1979年9月 ~

~同上 清武川の鉄橋を渡る 下り寝台特急富士 1979年9月 ~
この頃「富士」は西鹿児島まで運転されており東京から24時間以上かけて走る日本最長距離列車の1つだった。(もう1つは寝台急行「高千穂」) 1980年春のダイヤによれば東京発 18:00→西鹿児島 翌日1803。通しで乗った人はどのくらいいたのだろうか。
そしてこの日のトリ。新大阪にむけて寝台特急「彗星4号」が夕日を受けて上ってきた。DF50の柿色の車体が映える。

~日豊本線 田野ー青井岳 上り 寝台特急「彗星4号」 1979年9月 ~

~同 上り 寝台特急「彗星4号」 おとぎの世界の列車の様だった。 1979年9月 ~
人生でもう1度ここを訪れることはないだろうと思っていたが、
噂のJR九州の超豪華寝台列車「ななつ星」をテレビで見て心が揺れた。

単純には比較できないがオリエント急行をしのぐ豪華列車だ。
インテリアは木を基調に日本の匠の技の粋を集めた癒しの空間になっている。

3泊4日で1人39万円~70万円台。
うわ。。かなり勇気のいる出費だ。ならば撮影に徹しよう。(笑)
撮影場所は田野付近か宮崎の大淀川鉄橋あたりか。
できれば磐越西線のC57 180か山口線のC57 1を持ってきて牽かせたい。
久々の鉄道ネタでした。