FMラジオから流れた原田真二のライブに感激! | Bohemian78-ambのブログ

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先週の土曜日、うたた寝する耳元に聞き覚えのあるメロディーが何度も聞こえてきた。
目を覚ますと、なんとFM東京であの原田真二のライブをやっているではないか!

FM TokyoのKIRIN Good Luck Liveという番組だった。
http://www.tfm.co.jp/live/report/detail.php?id=102

デビュー33周年になるだろうか。
丁度キャンディーズの「わな」が流行っている頃に若干18歳で彗星の如く登場した。あの頃の思い出と重なって目頭が熱くなるほど嬉しかった。

「日本人のニオイガ全くしないメロディー」と評されたそうだが、当時、その洗練されたメロディー、アレンジ、ポップ感覚に衝撃を受け、このままこの若き才能はどこまで伸びるのか末恐ろしく感じた程である。

1977年秋のデビュー曲 「てぃーんず ぶるーす」。
これはピアノ引き語りではなくギターを持ったロックバージョン。
なんと、伊東ゆかりさん、
しばたはつみさんも後半に加勢する。
最高のステージに涙!
キャンディーズとも是非共演してほしかったな。。。
#Up主様お借りします。




1977年末の頃の自分は大学受験一浪の身で翌年のリベンジに向けて忍耐の生活だった。
キャンディーズの「わな」をTVで見て、「す、すげーーー ついにミキちゃんがセンターだ!」と思ったりしたがそれ以上関心を寄せる心の余裕はなかった。
ラジオから流れる原田真二「てぃーんずぶるーす」、紙ふうせん「冬が来る前に」、石川さゆり「津軽海峡冬景色」、Bee Gees「愛はきらめきの中に」、もちろんキャンディーズの「わな」等を聞いて黙々と頑張っていたと思う。


彼は本人の意図に反してアイドル的にもてはやされた事で将来の創作活動に不安を感じる。事務所(アミューズ)のマネージャだった大里洋一さんがキャンディーズ解散の対応に追われ十分ケアできなかったことなどもあって事務所を退社。
そのあとに入ってきたのがサザンオールスターズなどのエピソードはずっと後に知った。大里さんの後日談では原田真二がいたらサザンを売り込む余裕はなかったらしい。(出展 WIKIPedia 「原田真二」)
1人のアーティストを育てるというプロジェクトがいかに膨大なエネルギーを使うものかと改めて考えさせられる。


「タイムトラベル」、この曲は丁度キャンディーズの解散と入れ替わる様に新しいニューミュージック時代の幕開けを予感させる曲だった。
今聴いても新しい。
#UP主様お借りします。


1978年は歌謡界にニューミュージックのムーブメントが最初に起きた年と言われる。確かにツイスト、サーカス、渡辺真知子、庄野真代などが次々にヒットを飛ばす。
庄野真代の「中央フリーウェイ」で中央道をドライブするのが憧れだった人もいるだろう。
キャンディーズとの別れを惜しんでいる暇もないくらい音楽界が目覚ましく急速に変わっていった時代である。

もちろん、キャンディーズ+MMPはその高い音楽性で新時代への橋渡しを見事に果たした事は言うまでもない。

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