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さっちゃんのブログ

現在、筑波大学社会・国際学群国際総合学類3年次所属。

興味があるのは平和構築・教育開発・平和教育・市民教育etc..
About myselfでは勝手に自分をふりかえり
Diaryでは日々のことをつづり、
その他、訪れた諸外国についてup予定★

そういえば、いつのまにか幼少期から記憶をたどってく感じになっちゃって、今のことをかいてなかった!


<血液型>

わからないんだけど、ぱっとみA型にみえるB型だとよく言われます。

でも、血液型論あんまりすきじゃないんだ。

だから調べになんかいかないんだから。

献血にはいきたいけど、身体の縦ラインが短いもんで、どうかしら。大丈夫かしら。


<食べ物>

なんでもたべる。

というのは、たぶんアレルギーがあったからだと思う。

母親が薬剤師で父親が料理好きだったこともあって、アレルギーにはすごく小さいころから気を使ってもらっていた。

それは、両親が私の誕生日に豆腐でケーキをつくろうとして大失敗したというエピソードからもよくわかる。

基本的には卵アレルギーだったけど、かなり小さいときは小麦とかもだめだったらしい。

色々「食べられるようになったもの」が増えていくことも経験したし、それをみつめていた両親の思いを考えれば、きらいなものなんか生まれないさ。笑


なんていったけど、かずのこは少し苦手です。

あと、きっと世界には私が「食べ物」と思えないものもあるでしょうから、ぜんぶたべられるとは言えないかもね。


そしてまあ、私のアレルギーなど、たいしたことはないのです。

成長すれば、ムースも体調良いときには食べられるようになりましたし、唯一卵かけごはんとかができないだけです。



<音楽>

基本的に洋楽をききます。

特定のアーティストを信奉するタイプではないです。

気分と時期によってリピートする曲がころころと変わります。

ですが、好きなアーティストとしてあげるならば

Jason Mraz, Regina Spektor,Katie Meula, Meiko, The Fugees, KT Tunstall, Michael Jacksonなどなど。

高校でBUMP OF CHICKEにむっちゃはまり、私がまともにきいている数少ない邦楽です。


でも、カラオケでは洋楽は歌わない…(うまく歌えないから)

大変ですよ、あまり聞かない邦楽を歌うというのは。笑


よく声をほめられるけど、自分としてはあまりこの声が好きでない。



<読書>

あまり頻繁にするタイプではないです。

読みたいときには、一気に読むけれど、年間読書数はかなり少ないと思います。

でも、文章を書くこと自体は、その割には嫌いでないと思います。


数少ない読書の中で好きなな作家は、遠藤周作さんと向田邦子さん。

詩人は茨木のり子さん。

小学校時代は、赤毛のアンが本もアニメも大好きでした。


読書感想文というものが学校にはありましたよね。

私はいつも戦争ものばかり読んで、そのことばかり書いてました。

それしか書けなかった。

そこらへんは、今の勉強に少し…いや、かなりつながってるかなと思うこともあります。

だけど、あれは読書感想文ではなかったなあ。笑

社会と世界への不満を読書感想文を通して訴えていただけだった。

<映画>

「趣味は何ですか?」と聞かれたら、「映画鑑賞」と答えるが、どちらかというと、「ネットサーフィン」かもしれない。けどさびしいかんじがして嫌だから、上記のように答える。笑


好きな映画は"Life is beautiful"

はじめてみたのは、幼いときに家族でみたとき。

そのときそのインパクトが強くて、忘れっぽい私でも、そのタイトルも内容も忘れなかった。

だから「好き」と答えている。

大学生になって再度みたけど、やはりそうだった。



もう完全に、このMyselfでは自分でただ単に自分のことを振り返りたいだけだ。笑

さて。

何で大学にきたのか。


特に考えてきたわけではなかったなあ。

中学・高校と一貫校できてしまったので、私立にいかせてもらったのに、進学しないという選択肢は思いもしなかった。
周りも進学組ばかりだったし。
そんなに深く考えてはなかった。
特に、これがどうしてもやりたい!というのもなかったから
周りをみて、「ああ、大学受験か」という程度だった。

ただ、大学受験といっても、最後に受験をしたのが小学校だったから、いまいち実感がわかなくて
自分のことなのに、全然自分のことと思えなくて
実感がわかないまま、高3になってた。


「大学進学」を決めた理由はそんな感じで、家計のこととかはそれなりに考えていたけど、進学については本当に今考えると適当な決断だなあと思う。
中高一貫というのはこわい。


高3か高2かくらいのとき
祖父が、手術で声を失う前に言った。
「一度家を出なさい」と。

私はその言葉を頼りに、一度家を出ようと思った。故郷を離れようと。

学校も嫌いなわけではなかったし、地元も好きだったし、家も家族も過ぎだったけど
なんとなく良くも悪くも、そこで何かがかわっていく姿が思い浮かばなくて。


高2のとき、父の勧めでオープンキャンパスに行ってみた。

地元の大学のは行かず、東京の私大数校と、筑波に行った。
私大はICU以外あんまり雰囲気になじめなくて、すぐに大学をでてきてしまった。
結局、筑波にいった感想としては、「なんとなく生きていけそう」だった。

本当に「なんとなく」だった。


私大という選択肢もあったが、私立に6年間行かせてもらったという金銭面と、違うタイプの人間に会いたいという願いも込めて、国立を選んだ。


偏差値的な意味で、もう少し上の大学に興味がなかったといえばウソになる。
だけど、高校入ってそんなに受験勉強をまじめにしてこなかったから、
学力的にも難しいと感じて、つくばを選んだ。
今の学類を選んだのは、正直なところ、なんとなく国際関係に興味があったから。

実際、筑波でも成績的にはぎりぎりだった。


とにかく前述の通り、大学進学の実感もあまりなかったので、受験勉強に身に入らなかった。

塾には行かなかったから、休みの日や放課後にいつも学校で勉強していたけど、音楽をききながら、外を眺めておわってしまうことは多々あった。

授業でもよく寝ていた。その時点でやる気にかけていた。

成績は上の下という感じだった。
なぜか6年間特別クラス(成績上位者のクラス)からはずれなかったが、勉強したのは中3くらいだと思うのが自分の感覚だ。


とりあず、高3の夏では、もうつくばに行くかな~と思っていて

早く受験から解放されたい、その一心で、11月に公募推薦を受けた。
初めての面接。初めての小論。
小論がかけなくて見事に撃沈。

自分の中でなかったことにした。
ここで、なんとなく大学受験のシビアさを知った。

センターはぼろぼろ(勉強しなかったからね)で、
D判定ながらも前期もつくばを受けた。

不合格。

なんかなんかまずいことになってきたぞと思い始めた。

いける気がしてたんだけど…

とそれも呑気だったけど。笑


そんなこんなで、高校の卒業式では、私大進学者が多い学校だったので、数少ない進路未定者で、普通は非常に追い込まれるものなんだろうけど、確かに追い込まれてたけど、なぜかいけるような気がしていた。
「進路は未定だけど、笑顔で自分らしくがんばっていきたいと思います」とクラス会でへらへらしながら宣言していた気がする。


後期も、担任にはE判定のつくばを受けることは勧められはしなかったけど
結局つくばを受けた。

親は何も言わなかった。
むしろ受けてみなさいという感じだった。
後期の個別試験は推薦と同じ形式で、まさに推薦のリベンジだった。
推薦を受けたこと、どこかで後悔してたけど、この時になって、受けといて良かったと思った。
1度反省したことだったし、すべきことが見えていた。
そう意味で縁があったかもしれない。

それまで、いくら落ちようが成績があがらなかろうが泣いたことなどなかったけど、
後期試験の後、バスの中で、「もうだめかもな」と思ったときは、涙がとまらなくて、自分でもびっくりした。

センター利用で受かっていた私大にも、結局行く気がうせてしまって、
つくばがだめなときは浪人しようと思っていた。


そしたら合格してしまった。
私以上に母親と周囲が喜んでいた。
自分では受かる気が全くしてなかったので
親に申しわけないけれど、マイペースにがんばろうと思っていた。

合格通知がきて、やっと実感がわいて
気づいたらばたばたと引っ越しの準備が始まった。
あまりのスピードについていけなかった。



そんな感じで私の中学・高校と大学受験は過ぎていった。

ぎすぎすしたものにはあまり触れてこなかったから、そういう意味では、素直で正直に育った(?)笑
かもしれない。


小学校よりは少しは社交的になったけど
人前に出て何かするのはずっと苦手で
がんばる誰かをそばで支えることのほうが好きだった。

先生から見ると、模範的というか、あまり悪さをする生徒ではなかったろう。
かといって人懐っこくはなかった。

今になって、どんな生徒だったのかなあって先生に聞いてみたいといと思うことがある。



もっと中学・高校で、学校外で自分の世界が開けてきていたら、もっとかわってたかなあと思う。

ぽわーーーと5年間がすぎてしまって(楽しかったけど)
狭い世界の中でいきなり、「大学受験」がせまってきて、困惑していた気がする。

だから、あまり大きな声ではいえないけど、
中学や高校時代のことを思い出すのは苦手。

「戻りたくない」という感覚が先にきてしまう。

高校や中学が嫌いとか友達がきらいとかではなくて
そのときの自分をあまり振り返りたくない、それだけ。

だから、大学に入って、高校に戻りたいと思ったことは正直一度もない。

母校にいくと、どうしてもそのときの自分に引き込まれそうな気がしてあまり足が進まない。

わがままな話だ。
お世話になった人が沢山いるのに。

って言ったって、まだ子どもだろっと言われてしまうかもしれないけど。笑


家族は4人家族。下に3つ下の妹が一人。

親が共働きだったから、0歳か1歳くらいから保育園に入れられた。
小学校は6年間同じところに通った。

だからか、もし自分が親になったら子どもは保育園にいれたいなあと思ってしまうし、共働きに抵抗はない。

保育園時代の小ネタとしては、とりあず運動会のビデオが面白すぎる。
体操服のズボンをゼッケンが半分かくれるくらいまでびっちりあげないと気が済まなかったらしく、その様子はビデオにしっかりおさめられている。
玉入れのときは、身体が小さくて入れることをあきらめてしまったのか、ただ飛んでるだけ。
意味が分からない。笑

とりあず、変な子どもだったんだろう。

保育園はおやつを手作りで出してくれてて、それが美味しかったことは覚えている。
団地に住んでいたので、よく同じ階の男の子と遊んでいた。

こう振り返ると、自分自身あまり記憶がなく、親からもあまりこの時の話はきいたことがないかもしれない。



小学校に入ると、ひと駅先の街に引っ越して、家もマンションになった。

小学校低学年時代は、留守家庭に通って、5時過ぎに集団下校で家に帰り、留守番をする生活だった。

家に帰っても、もちろん親はまだ帰ってきてないので、お風呂をわかして(よくわかさないで怒られたけど)、テレビをみておやつを食べながら、親の帰りを待った。

妹がいたけど、妹が小学校にあがるまでは、親の帰宅までは一人で、よく「寂しくなかった?」といわれるけど、なれっこだったからか、あまり寂しいと感じたことなかった。
むしろその時間帯は、家が自分だけのものになるから、気分がよかったくらいの勢いだった。笑

だからか、一人の時間はそんなに嫌いじゃない。


小さいときは本当に引っ込み思案で、家の中はかなりのおしゃべりだったが、外にでると途端にちぢこまってしまうタイプだった。
身体も小さかったので、完全に小学校の低学年まではぱしりにされていた。笑
泣いた日もあったが、あまり親にその話はしなかったようだ。

当時、集団下校では、皆寄り道をするのが習慣で、リーダー格の子がこっちに行こうといえばそれに従うしかなく、早く帰りたいといつも思っていた。
でも、帰りたいというと、じゃあ勝手に帰ればとなってしまう。
こわがりな自分は一人で帰るのが嫌で、集団に従うしかなかったのである。

1年生のときは、当時手伝いによくきてくれていた祖母が通りがかりの6年生に頼みこんで、登校はその集団につれていってもらっていた。その6年生も朝からよく寄り道をする子で、滑り台を滑ってから学校にいくということはよくあった。
母親は、もう少し早く家をだしてくれないかと担任の先生にいわれて、驚いたらしい。


そのかいあってか、方向音痴の私でも、通学路以外の道を知り尽くしていた。

小学生はとりあず、近所をかけまわるのが好きである。
皆が知らない場所を知っていると、なぜかでかい顔ができる。


夏休みになると、何週間か妹と母方の祖母の家に預けられ、1週間のコースなどでスイミングスクールに通った。
祖母の家にいると、規則正しい生活ができ、ご飯もたらふく食べられる。笑
午前中はスイミングスクールに通って、午後は家で過ごした。
妹と外に出て行ったり、祖父とはぐれ刑事や笑点をみていた。
このときのことを最近祖母はよく懐かしむ。

祖父も祖母も元気だった頃。
今では私も懐かしい。



高学年になると、少しは気が強くなって、女子間の余計ないざこざにはあまり関わらなくなった。
特定の子と一緒にいるという感じだった。

とはいえ、それでも誰かにからかわれても、言い返すというタイプではなく、5年生のとき、担任の先生がその現場をみて、男の子たちをとっ捕まえて、謝罪させたうえで、「何か言いたいことがあるなら、今彼らに直接言いなさい」と言われたのを覚えている。


5年生の冬に友達に誘われて塾の冬期講習に通い、そのまま6年生から塾に通い始めた。
軽い気持ちだったし、親も強制したわけではないけれど、そのまま中学受験をした。
勉強のやり方がわからず、塾に入った当初、泣きながら親に励まされつつ宿題をやっていたことを覚えている。
よくやめたいと思わなかったなあと思う。笑

一度やり始めたことは、あまりやめたがらないのは、このときからそうだったのか。

根性が悪い・・・のだろうか。
粘り強いのだろうか。

よく分からないが、小さいときからあまり弱音を他人にはいたりしなかった。


「なんとなく根性で乗り切る」

そんなかんじだった。

中学受験では、結局、第3希望の女子校に受かって、そこに進んだ。