あけましておめでとうございます!

 

うーん、時が経つのは本当に早い。

 

判定日からすでに1か月以上経過してしまいましたが、ここでようやく治療のまとめ、最後の記事を書いてこのブログを締めくくりたいと思います。

本当は昨年内に書き終えていたかった!汗

 

なんせ昨夏に保護して今は大事な家族の一員となった、かわいい3匹の猫がヤンチャ盛りで、すぐにキーボードの上を占領、肉球で勝手にタイプしてしまうのでラップトップPCがなかなか開けないのです。

 

 

さて本題に入ります。

 

治療の本当の最後に臨んだ初期胚2個移植の続き。

 

ET12の判定日の3日ほど前からいわゆる茶オリがあり、ん~!!??

これは着床はしたんじゃないか?!とそわそわしていました。

 

 

が、判定日のHCGは

 

3.4

 

低い、ひくいわっ!!!

34じゃないです、さんてんよん、ですよ。

 

ズコ~!!!

 

 

胚盤胞までは到達したようですがこの数値じゃどうにもならないということで、残念ながら私の8年間に及ぶ不妊治療は結果を出せないままに終了しました。

 

 

この前の記事で書き忘れましたが、最後の移植を前に散々迷った挙句、ローズで不育症の血液検査を受けていました。

その結果問題は特になかったのですが、それでも気が済むように、と初めてバイアスピリンを移植周期に服用していました。

 

それでもしっかり着床しなかったので、これはもう受精卵の問題なんだなと納得しています。

 

 

ただ、少し後悔していることが・・・。

一刻を争う早発閉経患者の不妊治療にも関わらず、初動が遅すぎた自分に。

 

今は早発閉経のブログが沢山あって、情報がたくさんあるので私のようにぼーっとしている人はいないかもしれないけれど、参考になればと8年のまとめを書きます。

 

 

32歳で結婚(仕事の関係で1年別居)、同居し始めて1年経過した34歳から42歳の現在に至るまでの8年間、不妊治療を最優先にして過ごしてきました。

 

改めてファイルを見直してみると、治療一年目からすでに早発閉経の状態。

 

確か初診でFSHが45、当時住んでいた関西の不妊クリニックで、

 

「閉経時の数値なんだけど毎月排卵してるからなあ、なんだろう、まあまだ若いし、今後半年から1年以内の妊娠を目指しましょう!」

 

と院長に言われたことはすごく覚えている。

 

この時私は、半年から一年以内に妊娠できるんだ!と喜んだ・・・。ばかっ涙

 

FSHが高く、なかなか卵が育たず採れても受精しないか、空砲ばかり。

それでも私は自分が早発閉経で、もう全く猶予のない逼迫した状況にいるという自覚がなかった。

ただただ、お医者さんの言う通りに薬(クロミッド)を飲み通院を続けていた。

それまでの人生で生理不順になったことはなく、治療開始から採卵まで時間がかかるもののほとんど毎周期採卵できていたこともあって、最初の2年間は受け身で治療を続けていた。

初めての初期胚移植で陽性になるも、胎嚢が見える前に成長が止まる。

 

次第にあれ?私の体おかしくない?と疑問に思い始めネットで調べてたどり着いた聖マリ。

 

関西で正社員をしていた私には神奈川の病院に通院するなど到底無理、と思ったが藁にも縋る思いで

かなりの無理をしながら通院を始めた。

「あなたの状態はここに通う患者の中ではかなりいい方」とのお医者さんの言葉に希望が見えた気がした。

 

そして、100名の患者を対象に行っているという治験「IVA」を受けることに。

右卵巣摘出手術の後、夫のマレーシア転勤が決まりここからは、マレーシアからの通院。

摘出手術で8片採れたうち、原子卵胞が見えた4片を移植手術するも一年のうちに採卵、凍結できたのは1つ。

これを凍結胚移植するも着床せず。

残っていた凍結卵巣4片の移植手術を再度受ける。

 

その後通院に便利なローズに移る。

 

ここから1年間、卵まつりが始まり5つの凍結初期胚ができた。

IVA治療の集大成!ついに移植!

 

2個づつを2回続けるも着床せず・・・。

 

残り一個を移植する=治療終了を目前に、勇気が持てずせめてあと一つでも受精卵が欲しい、とまた誘発に戻り何度かの採卵を行いようやく1つ初期胚が得られた。

 

この最後の2つの初期胚を移植し、判定日のHCG3.4で治療終了、現在に至る。

 

はあ~~・・・。

 

 

かかった費用ですが、タイミングや人工授精をしていた1年目は不明で、その後7年間で計1000万円以上。

 

はあ~~・・・。

通院にかかる飛行機代は含まずです。

 

若くて体外受精一周期で10個とか採れて胚盤胞までいけてしまう方と比べ、早発閉経でなかなか採れずかつ高齢の私は非常にコストパフォーマンスが悪かった。

お金の問題じゃない、けど、お金の問題でもあり。

 

 

子供ができなかったという事実はこれからの人生でも、ずっと消えることはなく、この間のことは忘れることもできないだろうと思いますが、これを糧としてこれからの人生を楽しく過ごしていきたいなと思います。

これだけの苦労や悲しみや絶望感は、これからも私の身となり骨となり私自身を支えていってくれると思います。

 

 

これまで治療をいろんな面で支えてくれた人たち、ブログを通して仲良くなった治療仲間、会ったこともないけど勉強させてもらった数々のブログの皆さん、ありがとうございました。

 

これで私の治療ブログはおしまいです。

 

治療を受ける皆さんが一人でも多く報われますように!

前の記事、陰性判定から1年以上。

長いことブログを放置してしまいました。

これからのことを考えたり、悩んだり何やら色々なことがあり、あっという間に時が経っていました。


治療終結を数日後に控え、(まだ治療してたのか!と突っ込まれそうですが)、記録しておこうと思います。


昨年、ローズでの2回目移植が陰性に終わり、
残る一つの凍結卵を移植する勇気が持てなかった私は、また誘発に戻ることにしました。

また誘発に戻るなんて!
私は、なんて妊娠に対する執着が強く諦めが悪いのだろう!

敗北感のようなものを味わいながらの再開でした。


2周期目から卵が現れ始め、採卵に3回至りました。

一回は空胞
一回は受精せず

そして5月の周期では、複数卵が現れ、ようやくM2とGVが採れ、一つの凍結卵ができました。

IVAから2年経っており、これはIVAで移植した卵巣片からではなく、残っている卵巣からの卵だろうとのことでした。

これで、凍結卵は2つ。


その次の周期は、3週間誘発するも現れず。


夏の間は治療と直接関係ないとても辛い出来事があり、とても治療なんぞする状況ではなくなり、プレマリンだけを服用していました。



8月のある日、縁あって生後1ヶ月程度と思われる瀕死の子猫5匹を発見、家で保護することに。


私は、長いこと行き場を失っていた母性を大好きな子猫に注ぎ、てんやわんやながらもそれはそれは幸せな毎日。



そして、秋になり、私は移植に移ることにしました。


もう、いいや。
きりがない。
これ以上どれだけ時間とお金を費やしても妊娠できる保証は何もない。
もう十分だ。
子供がいても、いなくても、どちらでもいい。


と、思いました。



9月にお馴染みインド先生に再発していた子宮内膜ポリープ切除手術をしてもらい、


11月に移植周期に入りました。
内膜もホルモン値も順調に推移し、移植3日前に日本に移動、久しぶりのローズに。


移植した卵は、凍結時
グレード 3、2分割(2016年1月)
グレード3、4分割(2017年5月)

が、

グレード1、3分割
グレード3、4分割(変わらず)

になっていました。
 

最後の移植はすんなりと進み、あとは結果を待つだけ。


最後まできちんと記録してブログをおしまいにしたいと思います。

3日前についにローズ2度目の判定日を迎えました。

 

その日の深夜便でマレーシアに戻り、バタバタしていてちょっと更新が遅れました。

 

今回の移植周期を振り返ります。

 

 

 

前周期に比べ、崖っぷち感が強く今回の判定待ち期間は精神的にかなりストレスを感じました。

結果はまだ出ていないのに、ダメだった時のその後の事が頭を占めて不安に。

 

「もう散々治療したし、結果がどうなっても受け止められる、大丈夫」、

 

 

と思っていましたが、本当にその時になるとこれほどまでに辛いものか・・・。

 

 

必死で検査薬に2本線が出る映像を頭にイメージし、先生から「HCG出てますよ」と言われる場面を想像しようと心がけていました。

 

 

そして迎えたET11の朝、人生初のチェックワンファストでフライング。

 

結果を見るのが怖くて怖くて、判定窓を指で隠し、トイレから出た後もティッシュで隠ししばらく見ることができませんでした。

 

 

 

 

 

結果は、

 

 

真っ白。

 

 

うわ、今回も着床さえしなかったんだ・・・・。

 

 

 

 

 

 

そのことから逃げるように翌日の判定日に備え上京したその足で、新宿で見たかったインド映画「pk ピーケー」を鑑賞。

(いい映画でした~)

 

そして、遠距離通院でついに壊れたスーツケースを新調。

 

 

 

 

夫には検査薬の写真をラインで送付。

 

 

 

しばらくすると、ただ一文。

 

「二人で楽しむことを考えようね。」

 

と短いながらも珍しく優しい言葉。

 

 

 

 

そして迎えたET12の判定日。

 

 

診察室に入って渡された血液検査の結果には、

 

HCG   < LOW

 

 

 

 

「ん~残念ですが反応が出ていません。

E2、黄体ホルモンの値はしっかり出ているので薬は足りていたと。」

 

 

 

 

「最後の、本当の最後の移植の前に何かできることがあれば・・・。」と聞く私に、

 

先生、しばし沈黙。

 

 

なので私から、6月に子宮内膜ポリープを切除して5か月になるので(半年すると再発すると言われていた)、また子宮鏡でチェックしておくのはどうですか?

 

とお願いし、次周期は子宮鏡をやり(子宮鏡をやった周期は移植しないみたい)、その次の周期で最後の移植を行うことにしました。

 

どんどん進む移植周期は、1か月でちゃんと終わるのですぐに移植すれば今月末には終わるのだけど、1か月回り道をして年末に移植することになりました。

 

 

 

あと一つ、可能性をつぶしておきたかった慢性子宮内膜炎のことを聞きました。

 

例の先生がくどいくらい出す、着床しない要因の一つ。

気になっていたのです。

 

 

6月にポリープを切除したとき、組織を病理検査に出していた。

 

「ガン化していなかった、問題なし。」

 

とだけ聞いていたけど、

 

 

このときに内膜炎かどうか分かる検査もしてたんじゃないの?と思って聞くと、

 

 

「そうですね、それも含めて見ていますが、感染が疑われる結果は出ておらず慢性子宮内膜炎ではないですよ」

 

 

そうか~、やはり調べてあったんかいな。

 

 

「ということは、内膜炎でもなく、ホルモン値も良好、内膜の厚さも十分だったわけだから、あとは卵の問題だった、ということですね?」

 

と私。

 

 

「そうですね。」

 

 

 

 

IVAをやり1年半くらい凍結して時間が止まってたわけで、私の実年齢は41歳だけど卵祭りで獲れた5つの凍結胚は39~40才相当。

 

39才相当として、その採れた初期胚が4つとも染色体異常胚だった、と。

 

着床もできないレベルの自然淘汰ですか・・・。

 

5つあれば1つは大丈夫じゃないかと思っているのですがねえ。

 

 

 

 

ちなみに3年前に大阪にいたとき行った最初の移植で着床しているので、着床障害ではないんじゃないかと思っています。

 

 

PGSは受けないんだから何も確定できないんだけど、大事な大事な卵のうち4つが

 

あっちゅうまに消えていきました。

 

 

 

ザ 喪失感・・・・。

 

 

うーん、厳しいなあ~。

 

 

 

応援してくださった皆様、今回も本当にありがとうございました。

 

来月また気持ちを新たに移植周期を迎えたいと思います!

 

 

 

いや~、まいったな~、照

最後の卵で妊娠しちゃったよ、全くヤキモキさせるぜ、という気持ちでそれまでの期間を楽しく過ごしたいと思います。

 

 

本日、ET7。

実家では薪ストーブが大活躍しています。

 

 

高校卒業してからは、故郷を離れて生活してきた私。

 

この3年近くはマレーシアからほぼ毎月通院しているため、その合間には実家で過ごしています。

 

もともと帰省するたびにお墓参りに行っていますが、ここ3年は特に足繫く通ってきました。

 

 

 

歩いて10分の山の中にある先祖代々のお墓。

 

 

 

「いつもありがとうございます」

 

 

と心の中でお礼を言った後にお願いごとを。

 

あまり欲張らないよう一番のお願いに絞って。

 

 

ご先祖さまといっても、私にとっては一緒に暮らしていた父方の祖母がその主たる存在なわけで、つい「おばあちゃん・・・・」と呼びかけてしまう。

 

 

 

 

3年前は、

 

「どうか赤ちゃんを授けてください」

 

 

 

少しすると、

 

「在外勤務で苦労している夫が心身ともに健康に過ごせますように」

 

 

 

そして、70歳の実母のアルツハイマー型認知症が進んで不安症状が出てきてからは、

 

「どうか、母が不安なく安心して穏やかに暮らせますように」

 

 

 

今年の冬、介護疲れで父に鬱症状が出た時には、

 

「父が前のように元気になりますように」

 

 

 

そして、治療のおしまいが近づくこの頃は、

 

「どうか、どうか私に赤ちゃんを授けてください」

 

 

とお願いしています。

 

 

 

 

改めて考えてみると今は、

 

夫はその後パワハラ上司の信頼を勝ち取りなんとかやっている。

 

実母は5月に入所した施設で、在宅介護していたときよりも元気で安心して暮らしている。

 

父は母を在宅介護しなくなったことで、少しづつ回復し今はすっかり元気に。

 

 

 

 

 

 

あら、ご先祖様は1つのお願いを除いて全部かなえてくれたではありませんか。

 

 

 

 

もしかしてご先祖様は、いい方に導いてくれるとして、私に敢えて子供を授けていないのかな。

 

私は子供のいない運命なんだよ、それでいいんだよ、ってただ見守ってくれているのかな。

 

 

 

どういう結果になっても、それは私にとって悪いことじゃないんだろう、と思いながら

 

必死に妊娠判定薬の2本線を頭に描いてみる今日この頃です。

 

 

 

当初の予定通り、昨日無事移植を終えました。

 

 

 

 

血液検査の結果は、

 

E2  595.0

P4  18.15

 

移植に問題ない数値。

 

内膜の厚さは、画面をよく見たけどいろいろ測っていてどれがそれなのか分からず、

3日前の11ミリから最終的に何ミリになったのか分からずじまい。

(聞けばよかったのに・・・)

 

 

 

今日は先生の患者さんが多く(お休みじゃないんかい)またも座る椅子がない状態だったため、かなり待つと思いきや予定時間の12時半に呼ばれいつもの採卵室へ。

 

看護師さんいわく、移植は優先だそうです。

 

先生の前処置に前回よりも時間がかかっているような気がして、なんか問題でもあるのかなと心配になりましたが、今回は一回のぽちっとな、で2個とも子宮に戻ってくれたようで一回で済みました。

 

胚の状態は、

 

凍結時グレード3の3分割→そのまま成長せず

凍結時グレード2の4分割→グレード3の5分割に

 

でした。

 

 

 

帰りに初のチェックワンファストを購入。

 

いままで安いクリアブルーを使ってきましたが、一回くらいファストを使ってみたいと思いまして。

 

調剤薬局で小さい声で「チェックワンファストありますか?」と聞いたら、

 

お待ちください、と担当が変わり・・・

 

処方箋の薬を待つお客さんが沢山いるとこで、

 

「チェックワンの方~~!!」

 

 

ひぃ~なんだか恥ずかしいわ。(照)

 

 

「2個入りしかありません、1600円でーす。」

 

うっ、結構高いのね・・・。

 

 

 

一個500円のルティナスを一日3回使っていながらこの不思議な感覚。

 

 

 

 

夜、夫からは、「頼んだよ。今は着床に集中して」とラインでふた言。

 

着床に集中って・・・・一体・・・?!笑

 

 

 

いろんな症状は黄体補充のせいということが前回よーく分かったので、今回は一喜一憂せずのんびりと過ごしたいと思います。