さて、ハワイ珍道中第二弾です。
「この木なんの木」のモアナルアガーデンから次に向かったのは
「エマのサマーパレス」
カメハメハ四世のお妃様であるクィーンエマの「夏の宮殿」として有名なここは、涼しげな山あいにこじんまりと佇む素敵な宮殿でした。
カメハメハ大王のマブダチのジョンヤングの孫娘であった彼女の波瀾万丈なそして短い人生が詰まった、この宮殿。
何度も私は訪れているのですが、いつもなぜか胸がキュッとする切なさを感じます。
20歳で結婚し、27歳には、もう愛息も夫とも死別という悲しい運命だったエマ。残りの人生はハワイの人々、そして英国教会の地位確保に心血を注ぎました。今でもハワイの人々を助ける「クィーンズホスピタル」はこのエマさんが作ったもの。
お庭には、今が盛りと彼女の名前のついた「エマのスパイダーリリー」が咲き乱れてました。
平家で涼しげな山あいに立つ、こじんまりとした宮殿。この日は正面玄関はクローズされてて、後ろから入りました。
実際にエマさんが弾かれたピアノ。
昔は弾いてよかったのですが、今は触るのは禁止になってました。
「Nā mea hawaiʻi」で見つけた彼女の伝記。思わず買ってしまいました。
今回、写真には映さなかったのですが、この美しい時代の彼女の肖像画の他に強く惹かれたのは、晩年の(といってもまだ50歳前だった)エマさんの肖像画は、厳しい人生を経た、それはそれは眼差しが深く悲しく強い怒りを耐えたようなお顔の肖像画でした。
ハワイ式、英国式を交えたハワイ最大の婚礼を行い、お世継ぎにも恵まれ、順風満帆の人生が突然崩れた彼女の人生。
晩年にはカラカウア王との王位選挙戦で寸差で敗れた彼女。
その彼女の人生が垣間見られるこの宮殿。
寄ってよかった。
本当によかった。
珍しいオレンジ色のレフアマモ
彼女の愛したスパイダーリリー
さて、ここでしんみりしたあとは、すぐ近くの
強風で有名な
「Nuʻuanu pali」へ移動しました。
ここはカメハメハ大王の時代の戦場。
断崖絶壁のここから、敵となる老若男女を突き落とし殺した場所なのです。
はい、皆んなでパチリ。
ここで、バス🚌からチンタラ降り、並ぶのにつべこべ言ってる皆んなは「鬼軍曹」から
「ゴラァっ!チンタラしないで早く歩け!並べ!」と先ずは怒られ第一弾
そして、こいつら!写真移す時誰もアタシの横に来たがらない!
取って食う訳じゃあるめえし!
トットとしろ!っつーの!
はい、下に望むは「Kaneohe」の街並み。
今回この曲を踊るので、どうしても見て欲しかった景色なのです。
本来なら、崖下から強風が舞い上がり、髪の毛は全部逆立ち、スカートも捲れてパンツ丸見え状態になるんですが、なんとこの日はそよ風もなし!なんだよ、強風!予約しとけばよかつとよ、ほんまに!🤣
遠くには「チャイナマンズハット」も見えます。
そう、シナ人が被る帽子のような形をしてるでしょう?
ガイドのミホコさんが、「カメハメハが戦いに勝ったわけが、この絵を見るとよくわかるよ。」とおっしゃるのでよく見たら……
なんと、彼は火縄銃を手にして、敵を追い詰めて突き落としておりました。そりゃ全島統一できたはずだよ。
今は観光客で賑わうここも、かつては阿鼻叫喚に塗れた殺戮の地だったとは、想像するだけで鳥肌ものでした。
はい、次に向かった先は、イオラニ宮殿。
先ずは宮殿の目の前にある、カメハメハ大王の像へご挨拶。
なんと像の向こうのモンキーポッドのお花が満開でした!
これは宮殿の入り口、そしてあちこちで目にすることができる「王家の紋章」
全てのハワイの土地はハワイ人によって統治されるべき
というような意味がハワイ語で記されてます。
宮殿を背にパチリ。
その宮殿の裏手には
「リリウオカラニ女王」様の銅像がありました。
ここでもパチリ。
その後イオラニ宮殿で、日本人のツアーガイドさんに案内されて、たっぷり1時間、館内を見て周りました。
そしてなんと!
ハワイでもはや採取できないという貴重な木材「koa wood」で作られた、王様達が実際使われた階段を昇降することができました!
これには一同大感激。
宮殿に入る前は靴にカバーを掛け、床を傷めないよう制限があります。
いつもはオーディオツアーのところ、今回はラッキーなことにナマのガイドさん。詳しく色々教えていただきました。
ここで、写真制限のため
その③に続きます。