情報のつぶを呼吸してるイシキを大事に
しながら過ごすと的確な指示がはいる。
今朝たどり着いたのが、
粒が見せてくれた
「灯台下暗し」な私の見直し。
・・・・・
今、自分が気にかかっていること。
必要な方向へ進むために向き合ってくほうがいいことなんだとは納得しつつも
出そうで出ない位置にあるものを抱えて
悶々としてるのを体感してる。
とはいえ、
日々のその他の動きがその悶々感につられてグラつかないように、
いつもより丁寧に落ち着いて、いつものことはいつものようにすることはする。
こういうことの積み重ねが、
心のバランス力を上げることにもなるんだとも感じてきたから、
必要なことを必要なタイミングで起こしてもらっとるんだなと、
『悶々』はあるけど何か変な期待感?みたいなのが共存しとる気もする。
しんどいことをしんどいで終わらせるのは
もったいない。
転んだら何かを掴んで起き上がれば、
ああ、そのために転んだんじゃ
となる。
・・・・・
そんなこんなの今朝。
毎日のするべきことをする中でのこと。
こないだの鯉のトラブルのこと以降、
まだ毎日鯉の鱗の剥がれたところが
濾過槽の吸水口のことにくっついて吸い上げを悪くしてるから、
それをとりのぞいたり
水の中を小網で掃除したり。
けど、これが粒たちが伝えたいものを
「見せてくれてること」
だったんだと
今朝の大祓詞奏上や諸々のみたましごとをし終えたときに、ふと浮かんだ
「ここをみる」イメージ。
それは自宅とそこを支えている地、をみるということ。
で、足もと、根本をととのえるということ。
知っている、できてるつもりになっていたけど、改めて向き合ってというか第三者的な目線で、
見えるメンテナンスと見えないメンテナンスをしてたかというとできてなかった。
ありがとう、の気持ちは向けてても
その状態の確認とかケアとかは所々しかできてなかった。
うちは住まいであり、
人の身体や心、ものや土地の整えのお手伝いをする仕事の拠点でもある。
水槽の濾過槽のようなところだとすると…
その濾過槽の視線は濁りや不要が次第になくなり穏やかな水の流れになるをみて安心する。
自分の心が喜んでるからそれですべてマル。
それでまた濁りや不安の流れあるところを捉えて濾過して安心する…
この状態を離れてとこから見たら
濾過槽のメンテナンスの大切さがよくわかるのに。。。
人さまに伝える分、自分も大事にしたり、感謝したりできてると思ってたら…
終わっとらんわ。
自分の体や心は 『私』の大事な相棒。
自分の足もとは 『私』の土台、土台のあり方で、次の一歩は決まる。
土台への思いを持つことが、
あるべき一歩一歩に繋がって、
あるべき未来へたどり着かせる。
あるべき生き方を描かせる。
まずはあらためて
「わが家の地」さんと対面し、
様子を感じて必要なことをさせてもらおう。
どうやら、
この前、体の不具合の方に感じた「根腐れ」についての話とそのととのえについても
今回のおもいにつながる粒の流れの一部だったんだと思われる。
そう思わせる粒感と気配は活字ではあらわせんけど、やったらいいことはわかる。
鉢物の根のことも
合わせてやっとこう。
今日はこんな角度からの
粒の届けものについてをメモ。
ほんまに
粒のセカイはおもしろい
そう感じたり思わせてくれる私を生きさせてもらえて、『私』にも『すべて』にもありがたい。
ほんとにありがたい🙏