ついこの前、札幌の某地下鉄路線のアナウンスが自動音声になったのはもうお気づきであろう。

自分はどうしてもあの女性のアナウンスに愛着がわかない。まず気持ちがこもってない。

あそこまで駅名を感情を込めずに読めるものなのかとあきれてしまう。

そして優先席のことや携帯電話のマナーについてもアナウンスされるが、

全然注意する気がないように感じてしまう。

当然それは何回も再生されている訳であって、同じ駅の間でしか流れない。

毎日同じ駅の間を行き来している人にとってはこれは非常に苦になる訳だ。


逆に以前の車掌さんの声ならどうだったろうか。

自分が乗ったときの車掌さんはだいたい毎日違う。

これがひとつの楽しみであってささやかな趣味でもあった。

ひとりひとりの個性があって聞いていて心地のよいものであったのだ。

あ、今日はこの車掌さんか~。今日は調子よさそうだな…と。

こんなことを気にしてしまうとMDなんて必要なくなるのだ。

また地下鉄内での諸注意についても携帯電話を使ってる人を見つけては注意していた。

そういうことがないとまた携帯電話を使用する人が増えてしまう。

あと駅名を間違えるなどのミスがなかなか心地良いもので、なんだか微笑ましかった。

機械ではこういうこともなく、すべて正確に事が運ばれることであろう。


世界ではいろんな事が機械化(音声化)されている。

だが、それは果たしていい事だけなのであろうか。

確かに労力の節約にはなるが、それでは人の心というものが映し出されなくなってしまうのではないか。

もう一度、人にしか与えられないものがあるということを頭に入れなおしてほしい。


「様似には人の暖か味がある」(様似会格言集より)