久しぶりにアメブロのアプリをあけまして

フォローしている方のブログを拾っておりました

 

 

そのなかでぞわぞわっときたのは

我らがそわか嬢さまのブログ

 

「そわか嬢、水銀を探す」

 

「硫化水銀鉱を探しにいった」

また行かはったのか?と

一瞬読み違え

はい、十何年前のお話

なるほど

なんと私もなんですよと

リンクしているなと

私は発掘に足を運んだのではなくて

 

つい最近のことです(9月25日)

下書き保存しているブログがあります

後出しジャンケンみたいな感じでなんですけど

それがまさに仮題「インド錬金術」のことだったのです

 

 

発端はシータラーマさんのブログ

「錬金術の道:インドの伝統が示す物質と意識の融合」

興味深い考察を読み、触発されたからです

 

「錬金術」というキーワードだけでも充分に魅了されますが

「物質と意識の融合」という副題にも一層惹きつけられます

インド錬金術の古典とはその融合に他ならないということです

 

 

多大な好物スイッチが入りまくり

必然とこの本でしょうと

『インド錬金術』を本棚からおろしてきました

 

 

 

 

パラド(水銀)のブレスは

もうずいぶんと前にシータラーマさんで購入したものです

なかなかつける機会が訪れないブレスです

必要なときというタイミングが難しいのです

今までに装着できたのは2、3度という頻度

持っているだけで満足のお品でもあります

(アーユルヴェーダではパラドは処方としても使われるということですが)

 

 

シータラーマさんのブログでは

インド錬金術における

水銀の重要性を次のように書いています

 

 

古代のテキストは水銀を「ラサ」(精髄)と呼び、それを生命の本質や宇宙の創造力と同一視しています。水銀は、すべての金属の種子であり、適切に処理すれば他の金属を金に変換する力を持つと信じられていました。

水銀の重要性は、単にその物理的特性だけでなく、象徴的な意味合いにも由来しています。水銀の流動性は意識の流れを、その反射性は自己認識を象徴すると考えられていました。したがって、水銀を操作することは、単に物質を変化させるだけでなく、錬金術師自身の意識を変容させる過程でもあったのです。

 

 

水銀とは「ラサ」といい

「生命の本質、宇宙の創造力」と同義であり

「金属の種子」、金属の根幹であるからこそ

「精髄」と翻訳されるところとなるようです

水銀の「物理的な特性」とは室温で液体となることにあります

昭和世代の人は懐かしくご存知かと思いますが

体温によって溶ける水銀の特性をそのままに利用したのが

水銀体温計です

(現在では非水銀のアナログ体温計が存在するようです)

 

錬金術の物理的な側面(変化)だけではなくて

象徴的にはこの水銀の特性を

というか「水銀」という漢字に

その特性があらわされてもいますが

「意識の流れ」であり精神的な変容、意識の変容のプロセスという

両面があるのだと説明されています

 

Wikipediaの水銀のページを見てみますと

 

・古来の日本語(大和言葉)では「みづかね」と呼ぶ。漢字では古来「

・古くは ラテン語: argentum vivum (「生きている銀」、流動する点を「生きている」と表現した)

・英語名 mercury は14世紀から用例があり[2]占星術錬金術の分野で最初用いられたものである[2]。これは、天球上をせわしなく移動する水星を流動する水銀に結びつけたもの[2]とも、また、液体で金属であるという流動性が、神々の使者として天地を自由に駆け巡ったヘルメースギリシア神話の神で、ローマ神話メルクリウス(Mercurius)と同一視される)の性格と関連づけられたためともいわれる[3]

 

大和言葉では「みづかね」と呼んだということ

これもまた探求すべきことがでてきそうですし

ラテン語では、流動する特性を「生きている」と

表現していることが面白いです

 

それで英語名では「マーキュリー」であったと

水星と結びつけられた水銀

この対応も興味深いですし

「液体で金属であるという流動性」

ヘルメスと同一視されたということ

これは西欧のアルケミー(錬金術)の創始者が

ヘルメス・トリスメギストス(「エメラルドタブレット」)

であったということとも

繋がっていくんじゃないかと思ったりもします

 

東の錬金術(アルケミー)

西のアルケミー(錬金術)

 

そして東西のアルケミーが交わるところっていうのは

やっぱり巨大な東西の叡智の宝庫であった

大図書館があった(焼かれた)

エジプトのアレクサンドリアへと繋がっていく

 

これほどに知的テンションが触発され

陶酔できるものはありません

アレクサンドリアは知の極点であり

東西の叡智の源流でもあるのではないかと憧れの地でもあります

現実的にもこの地は行ってみたい場所でもあります

(ちなみに「セラピー」の語源にもなったセラピュータイの一派がいたところでもあり、尊敬するスワミジがクレタ島沖でみたビジョンにでてくる一派、エッセネ派もでてくるし、地中海沿岸は仏教と原始キリスト教が融合するし、アレクサンドリアはユダヤ人がたくさんいたところでもあり、ユダヤ密教のカバラとも関係してくる。このあたりは大好きが集まった領域なのです)

 

興奮を鎮めます

『インド錬金術』を今回読み直したところで

東西の錬金術を考え直すことでまず重要なことが書かれています

その序章において次のように

錬金術の起源をとらえなおすことが指摘されています

 

インドの錬金術についても、これまであまり注目されておらず、錬金術は古代世界ではもっぱらギリシアの英知だと考える傾向があった。他地域での錬金術の発展はギリシアから波及したものと考える傾向があった。こうした考えは近代科学を生んだヨーロッパの知的、科学的淵源を古典ギリシアの自然哲学に求めようとする、一種のヨーロッパ中心主義、あるいはヨーロッパ優越主義の思想に根ざしていると言えよう。

「インド錬金術」佐藤任・小森田精子 訳著  東方出版 1989年初版

 

これは現在の日本においてもあることですし

ヨーガがインドの叡智であるにもかかわらず

その叡智をある意味かなり曲解して理解している

西欧のヨーガ教師がもてはやされたり

いまだ肉体のみを重視する傾向は

(ポーズの外見、解剖学とフィットネス、もしくは美容の)

 

現代のヨガシーンにもよく見受けられることでもありますし

私たち、日本人も自国の文化や伝統を軽視し

何か西欧的な考えを良しとする傾向

もしくは巧妙な刷り込み?によって

あらゆることの中心を

西欧至上主義にもっていこうとする傾向があります

(反面、スピ系では日本が地球の主導、先端をいくのだ!という流れもあります)

 

もといもと〜〜い

 

先の書では

「ギリシア、アラビア、サンスクリット、中国の錬金術とその基本用語」

という興味深い項があるのですが

そこでアレクサンドリアでどのように

錬金術がインド・中国から伝播したのかということが書かれています

これはちょっとまた書き出すと長くなりますし

脱線魔なので

次回にいたしましょう

 

そして次回でもいいのですが

かなり重要な発見をしたので書きましょう

 

「不可能を可能にする」のがヨーガだと学びました

そしてヨーガとは意識(エネルギーの自覚)の変容でもありますし

見えるカラダの変容でもあります

「卑金属を金にかえる」錬金術

まさに「不可能を可能」にしているわけです

ヨーガ行とはそのままに錬金術の行

何も道具を使わないバージョン

使うのはこの肉体とマインドとエネルギーであること

 

インドのその象徴性、視覚化

すべてへの創造性

変容

錬金術とヨーガ

その共通性

インドの叡智、エッセンス、その真髄の浸透

もしくは生きたいのちの「流れ」

ラサそのものを感じます

 

 

ちなみに水銀をさす「ラサ」

アーユルヴェーダでは「ラサ」とは

体をつくる血漿、体液をさします

そして「ラサーヤナ」とは若返り、健康長寿をあつかう科目であり

内科、外科、産婦人科などとならんで一つの科になっていると

昔、アーユルヴェーダを学んだときに知りました

インドとは「解脱」(モークシャ)を

人生の大きな目的にしながらも

長生きしたい(肉体を保たせたい)んやな〜と

混沌のインド!!

清濁のインド!!

と不思議に思ったことを今回思い出しました

はい、人間とはなかなかに一筋縄ではいかないのです

 

 

 

 

 

『インド錬金術』と

本棚の隣に並んでいた未だ完読していない

ユングの『心理学と錬金術』1・2巻も今回出してきました

 

『インド錬金術』から読み直していき

先ほど書きましたように

深淵な沼にはまってしまったわけです

ここに入ってしまうとそうそう簡単には出れません

 

以前在籍したヒーリングの師が

西欧のアルケミー(錬金術)に造詣が深く

講座も聞いておりました

その流れもあってユング関係(心理の変容)までだしてしまうと

広げすぎて(この傾向があって収集がつかなくなる)

気が遠くなって(論文級の構想をたててしまう)

一字も書けないままになり下書き保存しておりました

 

 

それでまた戻りますけど

そわか嬢のブログを読んでいると

うわ〜!

硫化水銀の本のおすすめとして挙げている

松田先生の辰砂の本

これはリブログしてくださった

ブログにも書いていますが

そわか嬢さまから教えてもらって

ご縁をいただいた素晴らしい本です

 

最後に

私のブログを載せてくれている‥

今日の私のブログのアクセス

こうやってブログを書いている間に

いつになくうなぎのぼりでございます

 

もちろん、そわか嬢さまの読者様からの流れ

「流れ」なんですね

水銀も「意識の流れ」なんですね

 

 

 

大事にしております!!

ときどきニマニマとほくそえんでみております

そわか嬢さまからの頂き物

ご縁に感謝でございます♡