異国の地で暮らすということは、
日本で培った常識が壊されていくことなのかもしれない。
哲の常識が徐々に壊されていった。
まず驚いたのは、こんなことだった。
「インド人は並ばない」。
店で買い物をする時、レジに一列に並ぶという習慣はない。
待っている人よりも遅くレジに来たとしても
早く商品を差し出した者から清算される。
初めてそれを見た時に哲は驚いた。
ー順番を守れよ。ちゃんと並べよ。
ーなんてわがままの人だろう。
そう思った。
ところが、その人だけでなく、何度もそんな場面に出会ったので
それが普通なんだと思うに至った。
インドに順番なんか存在しない。
早いものが勝ちなのだ。
駅のチケット売り場でも同じで、
図太く割り込む神経がなければ、
いつまで経っても自分の順番なんて回ってこない。
また清算されたお金が、正しく返ってくるとも限らない。
お釣りは平然と少なく返されたり、
使い物にならない破れた紙幣を混ぜ込まれることもある。
インドに正直という言葉はない。
騙された者が悪いのだ。
交通事情もまた然り。
赤信号で止まっても、後続車が素直に後ろに並ぶことはない。
前の車が白線の前で停まっていたとしても、その車を追い越し、その前に止まる。
次の車はまたその前に出て停まる。
停まった車の前へ前へと、次の車が割り込むように出て停まっていく。
気づけば、最初に停まった車が青信号で発進する時には、
最後尾に追いやられてしまうのだ。
こうやって哲は、少しずつインドの常識を学んでいったのだが、
すべてを受け入れていくほど寛容ではなかった。
少しずつ溜まっていったそのストレスは、爆発の時を待っていた。
