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Interview with the sam.

のび太よりドジで高倉健より不器用な僕のロータリーエンジンを吹かしたかの様に空回る日常。
楽器やカメラ、スケボー、オープンカーからの景色、美味しいコーヒーとお酒、綺麗な人が大好きなただの貧しい学生です。Maroon5、GLAY、L'Arc。最近ドMだと気づきました。

久しぶりに思い悩む時期が来ております。
人生の岐路と言うものでしょうか。

今年はまずシドニーでNew yearを迎えた。
今まで見たことも無い数の人が街に溢れ驚いた。
僕が過ごした今までの「新年」とは違った。
オージーの友達と過ごせた。
田舎とは言わないが小都市へ留学していた僕は差別の対象でもあった為、西洋人の友人を作るのも簡単では無くて酷く惨めな想いをすることも多々あった。

日本、この地方都市函館に居れば怖い物は何も無い。
友人、家族、人脈、女の子とデートするには売ってつけのお店、言葉も通じる、暖かい寝床に、愛車、歳のわりには生意気な知名度。

それがオーストラリアと言う国では何でもない。
ただのいち日本人。いやただのアジア人でしかない。
今まで積み重ねた経験も地位のようなものも何も無い。
何者でも無くなってしまった自分。
確かにそれに違和感や敗北感を覚えた。
しかしそれ以上にこれから産まれる新しい自分に胸を高鳴らせていた。

年が明けてすぐフォトグラフィーのクラスを受けていた僕は専門用語の英語が飛び交う授業に頭が一杯だった。
そして別のクラスで仲良くなった日本語を勉強しているJoeと出会った。
偶然にもJoeと出会う少し前に彼と同じ名前の甥がこの世に生まれ落ちた。

だから彼には最初からすごく親近感があり、何でも腹を割って話せた。

日本で兄の子供「丈」は僕の家族に見守られてすくすくと成長しているようだった。
オーストラリアでは僕がJoeに見守られ成長していた。

Joeとは毎週火曜日、クラスの後にお互いの語学力アップの為にお互いの母国語について質問しあった。

そしてJoeはいつも夜になるとFACE BOOKでメッセージをくれた。
FBでメッセージをやり取りする間に僕の英語力はぐんぐん上がった。
彼が良く使うネイティヴの表現や、彼に質問された日本語を英語で上手く説明する為にひたすら考えたり、うまい例えを探したり、とてもお互いの為になった。
そうしてる内に僕の中でJoeはとても良い友人になった。

彼はブルースの演奏を中心とした二人組のバンドをやっていた。
何度か彼の家に行き一緒にセッションすることもあった。
彼からは音楽の良さを改めて教えてもらった。
僕が大学の授業に悩み、バイト先ともトラブルになり金銭的に余裕の無く、食うに困った生活をしていると彼に一度だけ愚痴をこぼしたことがある。

そんな彼は授業の後でヌードルを食べないか?と誘った。
僕はいいけど…お金がないから見てるだけでいいよとノリの悪い返事をした。
ヌードルショップへ行くとJoeは10ドルを握りしめ僕に下手くそな日本語で
「お願いします!食べて下さい!」
と僕に10ドル札を渡してきた。
鳥肌が立った。

先日僕がこぼした愚痴を聞いて、僕の為に気を使ってくれていたのだ。
涙が滲んだ。
本当にいい友達ができたと。

それから度々、僕にツナ缶を買ってきてくれたりした。
心優しい友人と出会えて幸せだった。

そんな中で僕は日本のファッションが好きな一人の女性Manonと出会った。

そのコは一見、ミステリアスでアニメのキャラクターの様なファッションにピンクとバイオレットの中間の様な髪の色をしていた。

オージーの女の子にしてはせんが細く身なりにとても気を使っていた。
日本語も割と流暢に話していた。

Manonは自分でファッションブランドを立ち上げ、自分で洋服を作りインターネットで世界のファンにむけてタンブラーやFBページなどで自身がモデルとなり宣伝しては通販で売り自分で生計を建てていた。
これがすごい物で一着150ドルから250ドルほどの価格だったが、毎週2~3着以上は必ず売れていた。
彼女はとてもクリエイティブなコで気が合いすぐに仲良くなった。
最も僕の住む街でアジア人のオトコなんてほとんど相手にされないのだ。
(僕はそうでもなかったのだけど←)

体格的にも西洋人女性より劣ってしまうアジア人男性が多い為だろうか。
結局は好みの問題だが。

Manonは僕をフォトスタジオに連れて行って一緒に作品撮りをした。
お互いの表現したいイメージなんかを話し合って朝から夕方近くまでご飯も食べずに夢中で撮った。
Uniのスタジオは一流のプロが使用するレベルの機材で僕なんかが使用していいのかと最初は戸惑ったが、一枚シャッターを切った途端そんなことは頭になかった。

彼女は僕をシドニーへ連れて行ってくれたり、彼女の母が持つ別荘へ招いてくれた。
首都のキャンベラへ行って彼女の高校時代の友人を紹介してくれたりとても親切にしてくれた。

彼女のおかげでスピーキングはとても上達したし、お好み焼きが好きなコだったので僕のお好み焼き技術も格段に上がった。

僕がもう少し早く出会い、そしてもう少し長くオーストラリアへ滞在できたなら少し今の関係も変わっていたのかもしれない。

勿論、大人の事情でお互いに時間が無い事はわかっていた。
周囲にはいつもare you dating with her?
hmm It's complicated...
とやり取り。
それは彼女も同じく答えていた。

やはり文化からくる感覚の違いだとか色々な部分で揉めたり、理解できない部分がたくさんあった。

出会ってからは殆ど一緒にいた。
沢山の刺激を受けファッションや写真、音楽も影響された。

僕が帰国する前々日に信じられないくらいの大喧嘩をした。
くだらない理由ではあったが今思うと僕が悪かったのだと思う。
その時、既に家を出て住居不貞外国人になっていた僕は友人宅を転々としていたが最終的に彼女の部屋に居着いていた。

彼女は怒り狂い、夜中の2時過ぎに僕に今すぐ家から出て行け!と怒鳴り散らし
僕は荷物をまとめ治安の悪い夜道で日本から持ってきた大荷物を抱え夜を明かすハメになる。
その時、オーストラリアは真冬。
10度以下の気温だった。

そんな真夜中に大荷物を抱えたアジア人なんて酔っ払いや、白豪主義の白人、ホームレスや乞食、キマッてるやつらに見つかったら絶好の的である。

しかし彼女の怒りは静まらず、腹を決め荷物をまとめているとオージーの友人からメッセージが来た。
僕はすぐにi'm in Trouble!!と返信し、図々しくも彼の家に泊まろうだなんて思っていた。

彼はアジア好きで政治にも詳しく、とても僕に良くしてくれた初めてできたオージーの友達でもあった。

彼がすぐにどうした?心配だ!なんて返事をくれたが口論になりなかなか返事もできず余計に心配させてしまった。

今なら車を借りて迎えにいける!とにかく心配だ!場所を教えてくれ!と言われとりあえず家を出ようとすると

今度はあんなに怒っていたのに引きとめられた。
キマリが悪くて友達の家だなんて言えなかった。
こっちまで頭がパニックになった。
どこに行くの!どこで寝るの?と。

そこからは僕自身がパニックになってあまり覚えてないのだが…


結局、その日彼女の家で床につかせてもらった。
彼女はまだまだ怒ってはいたが、僕をシドニーまで見送りにくると一緒に電車に乗った。

そして夜中に連絡をくれた友人も最寄りの駅までいつも通りスケートボードに乗って駆けつけてくれた。
ビールを二本抱えて。

本当に嬉しかった。

しかし側でまだ怒る彼女がいると素直に喜べなかった。

シドニーにつくまでグチグチと文句を言われたのを覚えている。
それでも僕の為に案内をしてくれた。

彼女の気に入ったボディクリームをプレゼントするまでは機嫌が直らなかった。

こういう部分は全世界共通なのだろうと思う。

夜はダーリングハーバーでパブでコロナを飲みながらパブ飯を食べ粋な夜を過ごした。
帰りはヒドイ大雨だった。
僕の気持ちを代弁してくれていたのだろうか。
シドニーだと日本人も多く、メインストリートの信号で止まると日本語が聞こえて来たのを覚えている。関西弁だった。

彼女の母はメルボルンへ学会の為留守にしていた為、宿にまたありつけた。

とことん、この家族には迷惑をかけた。

近くのBARでビールを買い二人で開けた。
二人でいる時、いつも冗談でエアロスミスのI don't want to miss a thingを口ずさんでいたから寝る前に二人で歌った。他にもビートルズのin my life、Norwegian Woodを歌った。

朝は5時頃起きて準備をした。
6時にタクシーを呼んでいたがさすがオーストラリア、全く時間通りには来ないのだ。

空港へ行く最中も何度も道を間違えメーターは回る。

まだ真っ暗な中空港に付き、登場手続きを済ませオーストラリアで最後のカプチーノを飲んだ。

高校の修学旅行生達が僕らに注目していたのが懐かしい。

飛行機に乗るまでは僕も気持ちを抑えられなかった。
人目も気にしてなんか元々なかったが。

荷物検査が終わったところで丁度、別れたばかり彼女から電話が来た。
嬉しかった。
前々日に怒り狂う彼女から無理矢理とった手紙を機内で読むまでは泣かずにいたが、読んでいる最中に涙が止まらなくなった。


帰国して一週間で今のボーイフレンドとデートに行ったと聞かされた時はショックだった。
そこから一ヶ月ほど、まともに夜も眠れなかった。
産まれて初めて、ちゃんとした恋愛をしたんだなと実感もさせられた。

沢山の得た物がある。
失ったのではなくて変わっていった物だ。
変わったからといって失ったわけではない。

きっと。

英語なんてちっとも興味のなかった僕が口喧嘩して帰ってきたんだ。
英語のNEWSを見て何があったか理解できる。

これだけでも人生変わったなぁ。
あとはなによりやっぱり日本ってすごくいい国。
日本の文化、そしてアジアの文化をもっと大切にしたい。

日本人、アジア人として。