最近やつがれ三宅女史にご執心。

正直に言って彼女の話し方、抑揚や語尾、やけに語り掛けてくる感じが

生理的に合わないのだけれども、とにかくどれだけ本を読んでいるのだろうか、

と驚き呆れる次第。いちいち彼女の一言一言がきちんと裏付けられているので

説得力があり、腹立たしい。

女史の書籍も然り。参考文献などは小生の守備範囲から随分と離れるのですが

なんともよく読んで、咀嚼していて、そして言語化が秀逸なのですよ。

 

最新刊なのかどうかは分かりませんが、昨年出たものですから

まあまあ新しいでしょう、ということで県立図書館から借用しました。

書籍の構成としては10章+あとがきです(前書きもあり)。

前書きで一通り本書の構成が解説されていますので、詳細は省きますが

ざっくり言えば、主旨は令和の若者たちの思想の潮流を平成のそれと比較します、

というもの。

ですから各章のタイトルは「平成の思潮から令和の思潮へ」となっています。

1章は批評から考察へ(批評は平成の思潮、考察はイマドキの思潮)、

2章は萌えから推しへ(萌えは平成、推しは令和)…

という具合で9章まで続きます。

各章の副題にその章で取り扱う書籍や漫画、映画等が掲げられています。

慇懃なくらい丁寧に作り込まれていますよ。

 

それで拝読したのですが、やっぱり世代なのだろうか。

1、2章までは何とかついていけました。3章の「ループものから転生ものへ」

くらいまではついていってるフリができましたが、4章以降はもう置いてけぼり。

「自己啓発」やら「やりがいVS成長」辺りなら思い当たるところもあるが、

「陰謀論」だとか「プラットフォーム」、「ジピる」に至ってはもうギブアップ。

それでも、論じられている各論はそれなりに理解できます。

言われてみれば、という節のところが多々あり大いに学びました。

イマドキの世相、「報われたい」という欲求に染まっている。

それでいち早く「正解」が知りたい、そして最適化が絶えず物差しとなって

人を、考えを、生き様を判定する、そんな状況なんですよね。

 

そしていくつか、自分の中ではなかなか言語化できなかったモヤモヤを

痛快に言い放ってくれている場面もありました。

最も印象に残っているのは、西村ひろゆき氏に関するコメント(141頁)

「すると、個人の感想なんて、意味のないもの、正解でないなら出さなくて

 いいものとされるのは当然である。『それってあなたの感想ですよね?』

 ということばが流行するはずである。この言葉は、

 〜そもそも感想や感情なんて意味がない〜(強調はやつがれのもの)

 という前提が置かれていないと流行しない。」

これですよ、これ。

西村氏は「感想や感情なんて価値がない」と息巻いている。

これがやつがれのモヤモヤの中軸にあったのです。

彼が実のところ然程論理的でないくせに、というのもあるけれども、

そうなのです、三宅さん。彼はヒトの感想を小馬鹿にしているのです。

データや統計なんて、その人の感じたことに比べれば二の次なのですよ、

やつがれにとっては、少なくとも。

その人が何を感じたのか、それが知りたいし、それが面白い。

データなんて(そもそもどうやって集計しているのかも怪しいし)

小学生だってワン・クリックでありつける。

でもヒトの感想なんて、そう簡単に白状しないからね、本音は。

 

三宅女史から語り掛けられているように妄想してしまいます。

「自分はもう若くないからなぁ」と感じたあなた、どうか若い世代に

言ってやってくださいな。「お前の感性、お前の感想は尊いのだから、

遠慮せずに話せ。」と。

やつがれもそういうべきだと痛感しましたよ。

 

ひ :「それってあなたの感想ですよね」

若者:「そうだよ。耳の穴をカッ穿いて聞けよ。

 これはそんじょそこらの統計や、エビでんすじゃねえ。

 私が感じたオリジナルのことばだ。」

若者たちよ、頑張れ!

 

不覚にも三宅女史に応援されてしまった妄想をしながら読み終えました。

やつがれは彼女の声のトーンが生理的にダメなんだよ。。。ほんとに。