11月になりました!!ザルツブルグは秋深まり、冬時間になり、これからは本格的な寒さへと進んでいきそうです。先日の週末は、紅葉を楽しむ最後のチャンス!とばかりに、鮮やかに色づいた木々と青い空のコントラスト美しい日がありました。10月末は、今年4月に開催される予定だったザルツブルグ復活祭音楽祭が、プログラムを縮小版にして延期公演。たった4日間でしたが、素晴らしい音楽祭となりました。この初日に、私も合唱で参加。モーツァルトのレクイエム を演奏しました。9月末からじわじわと新規コロナ観戦者数が増えているオーストリア。この音楽祭は無事に開催されて、どの公演もほぼ満員のお客様を迎えることができ、本当に本当に良かったです。


10月、私は個人的にとてもしんどい思いをしました。10月は他にも2つのコンサート出演を予定していたのですが、どちらもコロナの影響で私は参加することが出来なかったのです。まず10月14日、とある合唱のコンサートに向けて集中練習をした日の翌日、事務局から連絡してが入りました。


「昨日の練習に参加してたメンバーのうち2人から抗原体検査で陽性が出た。彼らは今PCR検査の結果待ちだが、念のため、同じ空間歌っていたみなさんもすぐにPCR検査を受けて下さい」と。


オーストリアでは現在、抗原体検査もPCR検査も健康保険により無料で回数の制限もなく受けることができます。


結果、PCR検査で陽性が確認されたのは1人だけ。もう1人は誤反応だったよう。またそれ以上の感染拡大がなかっただけでも不幸中の幸いというか。。ただ、このコンサートは、大事をとって延期となりました。


さて、10月17日には別の小さなコンサートも予定していました。このコンサートの出演者のうち私を含む5人は先の14日の延期されたコンサートに関わっていたメンバー。5人はPCR検査で陰性、感染していませんが、、実は私だけ17日のコンサートに出演することができなかったのです。


…なぜか。そう、それは、ワクチン接種者か未接種者かの違い。同じ空間で陽性者と歌っていたので、14日のメンバーは全員が「濃厚接触者カテゴリー1」とひとまず分類されます。しかし現在、ワクチン接種者は「濃厚接触者カテゴリー2」に格下げされるのです。カテゴリー1は最短5日間の自主隔離、カテゴリー2は自主隔離なし。


私はこのルールにとても違和感をおぼえます。何のための自主隔離なのか?ワクチン接種者も感染はしますし、他人に移す可能性は十分あります。重症化は避けれるかもしれません。でも、じゃあ、なんのための自主隔離なのか?自主隔離は、他人に移さないための方法ではないのか?

17日のコンサートは、シューベルトの作品を集めたプログラムで、ソロとしても少し歌う予定でした。本当に悲しいかった。。


私は18日まで自主隔離をし、18日に所定の検査機関でPCR検査を行い、19日以降はまた自由の身となりました。


ただ、この話には続きがあって…。私だけが歌えなかった17日のコンサートの後、その中のメンバーから1人、また陽性者が出てしまったのです。そしてその陽性者は、14日にも関わっていた5人のメンバーのうちの1人。濃厚接触者ではあったけれどワクチン接種者だから自主隔離を逃れた人でした。いや、ほら、そういうこと起こるやんか…。


17日コンサートのみに参加していたある女の子は母でもあり、自宅に乳幼児がいます。彼女は、とてもとても心配していました。ワクチン接種してるとはいえ濃厚接触者である人たちと自分が一緒にうたうことを。、「私たち夫婦はワクチンを打っているが、娘(3ヶ月)は何の保護もないのよ」と。彼女の気持ちも痛いほどわかりました。幸にして、それ以上感染拡大することがはなかったのですが、みんなにとって煮え切らないコンサートとなってしまいました。


この経験から、私は毎日毎日、考えました。

正直言って、調べれば調べるほどにワクチンを納得して受けようとは思えなくなってきました。


ただ、一番辛かったのは、歌うことを奪われたこと。私はなんのためにここで生きてるのか、なんとために今ここにいるのか、その答えについて迷うことは少しもありません。歌のため。


ワクチン接種者と未接触者とで得られる権利を差別化し、ジワジワとワクチン接種率を上げたい意図がわかるからこそ、それに屈するようで本当に辛いです。


でも、そのように悶々と悩みます続けた10月をずーっと続けるのも辛い。


私は、ワクチンの効果を疑ってるわけではありません。ひっかかるのは、接種するかしないかの選択肢が許されてないこと。もちろんインフォーメーションには、「ワクチンは自主的なものです」と記載されています。でも、実際の生活では、ワクチン未接種への代償があることはあきらか。


しかもこのおかしさには、ワクチン接種者である周りの知人たちも同意してくれす。

「私たちは自分の意思で打ったけど、その選択権をが保証されてないってのはおかしい」

と。


いろんな立場の意見、どれも理解できます。きっと、これから先もずーっと悩み続けることも可能です。ワクチン接種するか、しないままで頑張るか、間でずっと揺れていましたが、ある人と話していて、自分の中で結論の落とし所を見つけました。


それは、私が尊敬し、信用しているベテラン歌手さんです。

その人とはワクチンに関して直接論議していたわけではありませんが、「歌」について彼の話を聞いてるときに、


「最近の若くて才能がある人達は、テクニックや先生から言われることだけを気にして歌っている人が多い。その状況がとても残念だ。

頭で考えられた歌は魅力的でない、頭だけで処理された声はもう音楽的にタイミングが遅い。いつも心から発せられるもの、または自分の心が反応したものに身を委ねるべきだ。と。自分の心に正直に従った演奏は、少々失敗した箇所があってもパーフェクトなんだよ。そして自分の心から発されるものは誰も奪うことができない。」、と。


私は最後の一文に希望を託したいと思いました。

ワクチン接種の選択権は奪われたけれど、自分の歌だけは奪われないようにしようと。


ちょっと大袈裟でドラマチックに考えすぎかもしれませんが、今のこの煮え切らない思いを記録しておこうと思い、書きました。


副作用が強く出ないことを願って…